2020年01月03日

Happy new year

Happy new year 2020

Unhappyな昨年の出来事・・・大学病院の眼科でレーザー治療を受けてきたが
ついに視力が充分にまで回復せず、敢えなく運転免許を放棄!
都内居住のため移動に支障をきたすことはなく、なくてもよいのだが、やはりサミシイ。
免許証っぽい身分証明カードがあるので、なにかの支えにはなりそう。
今年は少しずつだが写真を入れ替えたり、更新できるものは新規のかたちで進めてゆきたい。
写真撮影はカメラまかせでなんとかなりそう。
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箱根湯本の早川に架かる旭橋 箱根駅伝応援の人々が沿道にギッシリ
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箱根湯本の某ホテル
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2019年01月01日

Happy New Year

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京都祇園の建仁寺塔頭禅居庵(摩利支尊天堂)の狛猪(こまいのしし)。阿吽(あうん)の阿のほう。
・・・口を開けていないる方が阿だったはず(いないるって自信なさげで↘笑笑)。
昨年はヌード写真にHappy New Yearの文字を重ねていたから相当進歩している、ほめて♥⛄
正月年初は相当ヒマなので目が悪いのに図書館で8冊も借りて読書三昧の日々をおくる予定、たたえて♥☀
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2018年07月02日

写真日記 7月2日

ブラジルvsメキシコ、ベルギーvs日本、トーナメント後半戦を集中して観戦するので、しばらく更新は開店休業モードにはいります。ブラジルの神左サイド、Rマドリ―のマルセロが見たい、ネイマールとのからみが見たい、いないと困る(が、負傷の程度がどうなのか、めっちゃ気がかり)。日本はベルギーの左(アザール)からの組み立てを遮断できれば、うまくすればPK戦に持ち込めるかも(淡い希望)。FWルカクは、フランスの異次元超速人間エムバベに比べたらどうってことはない。
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昨日アップしたハルカ(未亡人っぽいがまだ22才、色っぽいので色を抜いた)さんのほぼWhole body。

*観戦後感想(7月3日)
 ブラジル 相変わらずの大袈裟ネイマール、羽根が触れただけで悶絶苦悶、七転八倒。以前の大怪我の
      予防策なのか。ビデオ判定導入で通用しない旧スタイルとなっており、審判の視線もひややか。
      だけど負傷離脱したマルセロの状態が気がかり(正式発表はでていない)。
 日本 真剣勝負に竹刀で登場。イエローカード1人1枚まで使えるのに。中盤から自陣に入ったあたりで
    バシバシやっていれば零封も可能だったかも。アザールへの対応が甘すぎ。で、誰かイエローもら
    うような厳しい守備をしたっけ。片足はボールに、余った足で相手のふくらはぎにタックル、あと
    はネイマール風に自分もやられたと芝居をうてば、結構イエローはでないのに。
    2022年までに時間はたっぷりある。ウルグアイの守備をぜひ参考に。ヒメネス(Aマドリード)最高!
    そのウルグアイだが次戦フランスを前にしては苦戦必至となるであろう。FWカバーニの負傷がマジ
    なら90%以上の確率でフランス国歌を準決勝でもまた聴くことになる。
 
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2018年07月01日

写真日記 7月1日

この蒸し暑い中、中目黒から代官山にかけて歩きまわる(ブログ用の撮影)。性格が冷たいせいか(*コメントを戴いてる皆さま無口で申し訳ありません)、そのせいか熱射病とはまったく無縁。その後、東横線で渋谷にでて、レンタル屋の有効期限切れのカードを更新。16時になってもかんかん照りで冷房の効いたビル内にいないとやってられない。後は陽が落ち切るまで原宿で(またキャットストリートのBookmarcで写真集を立ち読みして)過ごす。
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中目黒・山手通り沿いの骨董店。
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美大のCさん。神宮前の東急プラザ原宿前で。5〜6キロ痩せて、誰この人状態。
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ラフォーレ原宿。新しいパネルがお目見え(エントランス脇)。
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W杯決勝トーナメントのスペイン対ロシアを観戦しているが、この後、午前3時開始のクロアチア・モドリッチの華麗なボールさばきを見たいのだが、はたして起きていられるのか。エアコンの強冷風を浴びながら、脳の芯まで冷やして起きていてみせる。
*ただいま午前5時47分、やっと眠れる。モ ド リ ッ チ〜〜。
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2018年06月28日

写真日記 6月28日

結局昨夜(今日未明)もブラジルの勝ちを見届けてから就寝、今夜も日本の狂乱騒ぎで眠れないので、イングランドvsベルギーでベルギーの勝利を見届けることにする。寝れるのはまた早朝5時すぎになる。
日本は試合前に救急車2台をリザーブしていることを陣営が表明すれば(2名骨折覚悟の肉弾戦)、ポーランドはビビりまくって敵前逃亡必至。W杯は気合なのだ(残りは少々の技術)。
イングランドは近年斜陽の影を引きずっているので、ベルギーにボロクソに踏みつけられ白旗確実、それでも強肉マンらは無慈悲にとどめをさし続けるだろう。
図書館行って、本屋にもよって、スーパーで冷凍枝豆とスイカ(西瓜)をチャージして、かなり元気だ。
あと1日で不眠症候群からいったん脱出できる(明朝、永眠してなければ)。決勝トーナメントに入れば余裕で体力温存できるので、当然全試合生で観戦する。
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サッカーは気合なのだ!腰が引けたほうが負ける。
中学1年から写真部に所属、大学1年の時の高みの見物アングルからの1枚。早大1文通用門前の攻防(Twitterだと不適切処理にされる画像、たくさんあるのでまとめて公開しようかな)。
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2018年06月14日

写真日記 6月14日

見れなかったはずのW杯ロシア大会が見れる。
去年の4月に昏睡状態のままオサラバしていてもおかしくなかったのだから、もうけものだ。
体調を考慮して、今回のW杯は静かに観戦する。すでに時差調整も済ませており、完璧に臨戦態勢モード。午前2時くらいまでなら余裕で起きていられる。
で、いい加減な予想だが、優勝は元ユベントスの司令塔Dデシャンが率いるフランスだろう。但し、FWムバペ(パリサンジェルマン所属19才?)やポグバが決勝まで負傷しないことが前提条件(*愕然!今日14日のトレーニングでよもやのムバペ足首負傷)。
決勝でフランスの対戦相手となるのは、ドイツかブラジルになるだろう。
ブラジルは、ネイマールとマルセロの二人を注視する。マルセロ大好き(遠くからでもマルセロだとわかるから)。ドイツはやはりベスト4には残ってきそう。レーウ監督に2連覇を果してほしくないが、点を許さない鉄壁の守備力(Bミュンヘン勢)を保持しているので、決勝に残っても不思議でない(アーセナルのエジルの中盤での動きを追うのも楽しみ)。
G組のベルギー、イングランド、D組のアルゼンチン、その他ではクロアチア(モドリッチが楽しみ)、スペイン(まさかの直前監督交代・後任はイエロなので問題なし)がベスト8に名乗りをあげそう。選手では、Rマドリ―・バルサ・パリサンジェルマン・マンC・アーセナル・チェルシー・ユーべなど普段から観戦しているチーム所属のレギュラーの面々をチェックするのも、これまた極上の楽しみ。  
普段から欧州主要リーグを観戦していない人には、ちっとも面白くないだろうな。
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優勝予想国の駐日大使館(南麻布)・・・Bonne réuissite
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2018年05月29日

写真日記 5月29日

明日の予定を前倒しして(関東地方は雨天予報)、渋谷と六本木でアート巡り。
まずは渋谷のギャラリー・ナンズカで5月23日から始まっているダニエル・アーシャムの個展「Architecture Anomalies」に。white coating & solidの空間にしばしの間ただよう。
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六本木に移動して、こちらも先週5月25日から始まった六本木タカ・イシイギャラリーでの荒木経惟 (アラーキー)「恋夢 愛無 love-dream,love-nothing」展を愉しむ。全版モノクローム(約100点)での濃厚な荒木臭が充満する展示なのだが、ここは展示によってカメラフリーなのか否か、まちまちなので、今回はエントランス付近の写真だけに限定しておく。帰りがけにヒルズに寄ったが、なんかなんかなのでとっとと撤退。
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2018年03月24日

写真日記 3月24日

昼前に渋谷で写真を撮る予定だったが、スケジュール変更があって予定外の神田神保町に。
1年振り以上の神保町古本屋街、急に訪れたくなったのは写真集の品揃えが豊富な小宮山書店。
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和洋の写真集を片っ端からチェックしたあと、2時間以上かけて古本屋街をうろつく。
坂口安吾の評論全集に食指がうごめいたが、リュックに入りきらないのであきらめる。
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渋谷に。NANZUKAアートギャラリーでポップカルチャー(コラージュイラスト)展をみる。
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以下、本日のハイライト。渋谷から原宿に歩いて移動。
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原宿のギャラリーVACANTに。
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明日も渋谷&原宿。プログレッシヴな病人が開き直ったように歩きまわる(大丈夫じゃないかも)。
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2018年03月23日

写真日記 3月23日

画像加工日記その2
写真だけなら目のほうも対応できるので加工にいそしんでいる。
で、完成分。
担当医(内分泌科+循環器科)から適度に運動しなくてはダメと言われているので、
明日明後日とダメじゃなくなる。運動する予定地は、渋谷・青山・原宿。
月曜夜も渋谷(ライブ、ふかせのバンド)に行きたいが、おそらくダメ。3日連続は、また入院する予感がしてならない。
しーゆー♡
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2018年03月21日

写真日記 3月21日

外は雪混りの冷たい雨。最近おりこうになったので、こんな日は外にでない。
朝からPCを駆使(無料アプリ)して合成写真作りにいそしんでいる。
なんかパッとしない出来栄えなので、「もうやーめた」。
で、相撲Tv観戦に切り替え。
大学病院は、最低5月まで継続通院が決定(内分泌科)。薬は心臓も含めて2ヶ月分の処方なので
面倒ではないが、気分は<鬱>。
以下、合成写真。
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カフェの外観と内部を1枚に なんかよくわからん
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コスモスが似合いそう(ドクダミ草がぴったりだったりして)
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これはカフェの内部と内部 3枚重ねるとぐちゃぐちゃになってゴミタメみたくなるので2枚だけにした
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桜を重ねてみたが・・・外はミゾレ この子高校生だったんかな?話をほとんどしてないのでわからん
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これなど、なんやねん これ何?の仕上がり
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2018年03月18日

写真日記 3月18日

なかなか目の状態がよくならない
細かい文字がほとんど読めない
で 病気ネタしかない
京都祇園の目疾(めやみ)地蔵に何回か写真を撮りに立ち寄ったが
こんなものいるかと眼病の御守はスルーしてきた
だれかもらってきて お願いプリーズ@@@
アマゾンで扱っているかなあ
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2018年03月07日

写真日記 3月7日

本日3月7日付けの京都新聞朝刊に、京都市南区九条の映画館<京都みなみ会館>の閉鎖発表に続き、左京区東一条交差点で約70年間営業を続けてきた谷崎潤一郎所縁の<春琴堂書店>の閉店が報じられた。京都に根付いてきたアート系と文学系のふたつのカルチャーポイントが同時に消滅(3月31日)する。ちょっとした空虚感にとらわれるが、まあ、おあとにCOCON烏丸の京都シネマと寺町二条の三月書房が控えているので、大丈夫。
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春琴堂書店。店内赤丸の印位置に、谷崎潤一郎筆の右書きの<店書堂琴春>の扁額が掲げられている。先々代(?)主人と谷崎とのエピソードを項目を作ってまとめてみたい(いつになることか)。
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京都みなみ会館。移転再開の噂もあるが、とりあえずエンドロール、間もなく闇に溶け消えてゆく。開館が1963年だから50年以上頑張ってきたことになる。映画館1階の壁に描かれた<mögen sie kino?>の文字(独語・あなたは映画が好きかな?の意)がいつまでも記憶に残るだろう。建物右手の階段を上がった2階にロビーがある。
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2018年02月09日

写真日記 2月9日

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原宿Design festa gallery east2f 2月8日〜14日まで。
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2月9日の経路・・・神宮前(原宿アートスペースAM・デザフェス・表参道GYRE)〜日比谷(日比谷
図書文化館ギャラリー・図書館内プロント)〜渋谷(タワレコ・ヒカリエ・金王坂NANZUKA)。
*解体更地状態の渋谷宮下公園を撮りに行ったが、フェンスとガードマンに邪魔されて目的を果せず。
後日、山手線内回り車内から撮ろう。
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2018年01月01日

HappyNewYear 2018

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2017年04月22日

4月22日 急性心筋梗塞で危篤状態に

4月10日夕方、自宅近くのスーパーに買い物に出かけた帰り道、呼吸困難(心筋梗塞)になり路上に倒れ込んでしまった。記憶があるのはそこまで。
大学病院の救命救急センターに搬送され、以降、ICU(集中治療室)で約3日間昏睡状態に。
一般病棟に移った後、さまざまな検査(CT・MRi・心エコー等)が連日実施され、歩行リハビリにも合格し、本日(4月22日午前)一時退院することができた。担当医師曰く「かなり危険な状態だった」。
私は、スーパーマンなのだ(スーパーの前で倒れた男)。
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(上画像)私の冠動脈の詰り具合。心臓の太い血管に厳しい狭窄は発見されなかった。
これは、右手首からカテーテルで心臓に造影剤を注入し、血管の状態を検査する手術。
心筋梗塞は、今回で大小含めて三回目となった。要因は、今回も不明。

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(上画像)毎日配られる手術・検査の当日予定表。
体内から水分を抜くための処置がとられ、尿は、すべて計量カップ等で数値化される。
様態によってはナースが補助してくれるが、私の場合、すべて自力で行い、ナースに(大事なおちんちんを)指一本触れさせなかった。
ただ、集中治療室で挿入されていた尿道カテーテル(尿排泄用)を引き抜く時、20歳過ぎくらいの
ナース(Sさん)が、思い切り引っこ抜くので、痛いの痛くないの。5日間はピリピリしていた。

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(上画像)病院食メニュー。時々、果物が並ぶのがうれしい。

じつは、正式退院でなく、一時退院(3日間)の状態で、来週再び検査入院する。
内臓全般の怪しげな部位を精密検査するスケジュールが組まれている。
4月は、自宅にのんびり居られた日数は3〜4日だけとなりそう。
内臓はボロボロで、かなり悪い気がする、悪性腫瘍もかなり発見されそうだ。
ガンが発見された時には、「もう末期です。転移が激しく手遅れです。」という
スローな自殺(検査をあえて行わない)を望んでいたが、その通りになりそうだ。
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2016年12月31日

Happy New Year 2017

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2015年12月22日

interval(写真日記12日22日 新国立競技場設計コンペ)

新国立競技場建設のデザインコンペは、ほとんど思い入れのない建築家(伊東豊雄、隈研吾)2名による二者択一となったため、どちらが選ばれようとこれといった感慨を覚えずにいる。なので感想はなし。
勝者(12月22日採用決定)となった隈(クマ)研吾氏の特徴ある外観仕様を、ほぼ触れられるほどの距離で見れる既存作品(都内の地下鉄駅から何処も徒歩すぐ)を都心限定で7カ所アップ。

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本郷・東大本部構内(竜岡門近く)の建物2014年竣工

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サニーヒルズ南青山(台湾の菓子屋さん)

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木材使用箇所をやっと発見(浅草文化観光センター)

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梅窓院(木造建築だった古い本堂などを建替え) 青山通り(246号)を挟んで北向い側にエスコルテ青山が建つ

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エスコルテ青山 南側に梅窓院山門へ誘う竹林の参道が見える

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ONE表参道 青山通りと表参道の交差点近く(交番の隣)

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ADK松竹スクエア(高層) 銀座晴海通り沿い(住居表示は築地)
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2015年10月02日

interval(写真日記10月2日 瀬戸内晴美の随筆集「古都旅情」と祇園・建仁寺)

今夜も昨夜の瀬戸内晴美の随筆集「古都旅情」を続けて読み進めている。
「祇園・建仁寺」の章から。
<<私は花見小路から建仁寺に入っていくのが好きな道だ。花街と禅寺が隣どうしに並んでいるところも京都らしくていい。いつ行ってもこのお寺は森閑として、なぜか観光ルートの外にある。>>
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建仁寺法堂。2012年10月、ちょうど今頃の撮影。
<<私は建仁寺の塀に沿ってさまざまな季節ひとりよく歩いた。京都の市中の、最も繁華な四条通りや祇園がついそこにあるとも思えない静寂が、いつの季節もその塀の外にはただよっていた。(略) 男を待つ間、私は何時間建仁寺のがらんとした境内ですごしただろうか。祇園の女と宮川町の女の区別もつかなかったその頃の私には、日本髪の若い女が、泣きながら、たそがれの寺の庭をことことと駆け去るのをぼんやり見送ったりしていた。>>
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(左写真)建仁寺土塀と花見小路。観光客は今も変わらず奥の人影が固まっている辺り(祇園甲部歌舞練場前付近)でUターンし四条通のほうへ引き返してゆく。2011年7月撮影。 (右写真)建仁寺北門と建仁寺垣の発祥となったその「建仁寺垣」。2012年10月撮影。

これからもう一冊、あのSM小説を得意とする団鬼六の時代小説「最後の浅右衛門」に目を通す。浅右衛門とは、代々、罪人の首斬り役を任された(最初は押し付けられた)「山田浅右衛門」のこと。世子はその名を引き継ぎ明治初期まで8代に渡ってその任を全うした。海音寺潮五郎のリアリティに満ちた作品を読んできているので、途中で放り投げるかも。
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2015年09月27日

interval(写真日記9月27日 写真家・福島菊次郎氏死去)

写真家・福島菊次郎氏が9月24日(木)に脳梗塞のため亡くなられた。94歳。葬儀・告別式は行わないという。  *東京新聞9月26日付け朝刊より
原爆被災者家庭、成田空港建設反対闘争、様々な反戦運動の現場などを撮り続けた報道写真家であった。近年では、2011年の東日本大震災で被災した福島県下を取材する福島氏の姿を追ったドキュメント映画(下写真のポスター)が劇場公開されている。
福島氏と接触があったのは、数十年前の新宿歌舞伎町の飲み屋でのこと。福島氏が常連だったその店に、こちらも2日に一度は訪れていた。連れ(当時の彼女)のアパートが福島氏の住まいとすぐ近所だったため話しが盛り上り、それ以降、度々相席することに。福島氏の横にいつも座っていた年の離れた女性が誰であったのか、ついに聞き漏らしたままになってしまった(娘さんだった気もする)。その飲み屋は、しばらくすると歌舞伎町の薄暗い路地奥から新宿末広亭近くの人通りの多い場所(新宿3丁目)に移転してしまった。私は当時バイト(TBSや映画プロダクション)を専業とする学生で、仕事の関係のためであったろうか移転後の店からは足が遠のき、福島氏ともそれっきりになってしまった。今となっては、うざったい話題に嫌な顔も見せず、黙して聞き役に徹して頂いたことに感謝するのみ。
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(左写真)飲み屋で頂いた福島氏の名刺。もちろん現住所は知らない。 (右写真)飲み屋があった歌舞伎町の路地。左角のマックは撤退し、左奥のカプセルホテル(元はディスコ「サンダーバード」だった)の建物も解体されて建て直し中。飲み屋があった細路地の位置に白矢印を付けたが、幅1mほどの通路は消失している。現在のソープ「角海老」の建物がある裏付近に飲み屋はあった。2009年撮影。
福島菊次郎氏のご冥福を祈ります。
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2015年09月09日

interval(写真日記9月9日 きょうの1枚:柴又三丁目上智大生殺人放火事件)

19年前の今日、葛飾区柴又3丁目の住宅街の一角にある小林賢二さん宅2階(木造2階建)で、上智大学外国語学部英語学科4年に在学中の次女順子さん(21歳)が殺害される事件が発生した。犯人は小林さん方1階奥の階段付近に放火した後、逃走している。19年が経った現在、未だ犯人像どころか逃走経路さえ不確かなままだ。火災発生前(35〜40分前)に小林さん宅を覗き込むような不審な行動をとっていた短髪のレインコートを着た中年男の目撃情報(捜査本部が似顔絵と人形を作成して報道各社に公開)が唯一の手掛りとなっている(残留血液・縛り方・スリッパなど周辺情報はいくつかあるが決め手に欠ける。凶器も未発見)。
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事件現場(赤矢印の空き地)。全焼した小林さん宅は更地となっていたが、その後、地元消防団に土地提供され消防倉庫が建てられている。倉庫の前(向って左側)にはお地蔵さんも建立されている。
事件発生時間は1996年9月9日午後4時半前後。まだ明るく、主婦らが夕飯の買物に出歩いている時間帯だ。写真撮影位置は小林さん宅玄関から左に出てすぐのT字路の路上からで、右方向が京成柴又駅(踏切がある)、左側は駅から遠ざかる住宅街。初期段階の捜査で知人による怨恨説は薄らいだという。事件直前に駅まで家族に向かえを頼んだ「ストーカー」の一件もあるが、犯行時刻から類推して、明るいうちに留守宅を狙う窃盗犯(空き巣)による可能性もある。3日前にすれ違った他人の印象を思い出すのも困難なのに、あまりに年月が経過している。容疑者検挙と同時に現場周辺・捜査本部(亀有署)の写真を出そうと準備してあるのだが・・・。
参考:事件翌日の日経新聞朝刊、捜査本部HPなど
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2015年09月04日

interval(写真日記9月4日 きょうの1枚:劇団員・加賀谷理沙さん絞殺事件:中野新橋)

中野区のマンション自室で劇団員・加賀谷理沙さん(25歳)が絞殺された状態で発見されたのは先月26日の夜。その2日前の早朝、最寄の東京メトロ中野新橋駅からバイト明けで帰宅する加賀谷さんの姿が防犯カメラに捉えられていた。ニュースで幾度となく放送されている黒色のリュックを背負って自宅に向かって歩く後ろ姿の映像だ。そのリュックと部屋の鍵が室内から発見されていないという。現段階では当初の「知人犯行説」から捜査範囲はかなり広げられているようだ。その防犯カメラがある場所に行き、似通ったアングルで撮ってみた。
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この先、数百m先に加賀谷さんの住んでいたマンションがある。途中に防犯カメラを設置したコンビ二が1軒だけある。写真の位置の右後方にもコンビ二があるが防犯カメラは軒下の展示パネルによって遮られており、視界は真下のみになっている。ストーカーがいたならば2〜3のカメラに残されている可能性が高い。現場(マンション)の建物外壁にも駐車場(駐輪場)と路地の半分ほどを捉える防犯カメラが設置されているのだが・・・。捜査本部がおかれた警視庁中野警察署前には逮捕に備えて各社報道陣が待機している。今夜も徹夜になるのか。
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2015年08月30日

interval(写真日記8月30日 枝きりバサミによる性器切断事件:東京)

今月(8月)13日午前、港区の高層ビル内のオフィスで妻を寝取られた男による報復といえる暴行傷害事件が発生した。鮮血で赤く染まった凄惨な現場に立ちつくす小番一騎容疑者(こつがい・いっき)は駆けつけた警視庁赤坂署の警察官によって、その場で傷害罪で現行犯逮捕された。傍らには当事者の妻も呆然として座りこんでいた。
お盆休み入り間もない都心のオフィス街で発生したこの事件は、センセーショナルに、ある種の熱気を帯びて報じられた。拳による殴打、そして凶器(枝きりバサミ)を使用しての性器切断(ペニス&睾丸)、さらに接合再生手術を不可能にする水洗トイレへの遺棄。*現場リポートはほとんどなく、情況はフィクションです。
部分的に報道された情報を総合すると、「寝取った男」は弁護士で、「性交に応じた妻」(25歳)はその弁護士事務所の事務員(秘書との報道もあり)。「寝取られた旦那」は慶應大学法科大学院生(24歳)。狂気の内側に冷酷に計算された筋書きが読み取れる。殺すより数倍もの満足感を永遠に彼は得たのだ、しかも軽い量刑で(殺人に比べて)。水洗トイレに肉塊が消え去る時、彼は悦楽の表情を浮かべたに違いない。
週刊新潮に書かれた被害者のプロフィールによって「宦官」にされた弁護士の特定はすぐにできた。「X」氏(仮名、入院先は極秘なのか探り出せない)。
東京地裁での傍聴予定リストに即刻、赤丸付きでメモした事件(おそらく抽選になり高競争率になるだろう)。事件当事者が全員、法曹界関連者という稀な事件。妻(25歳)の証人出廷も確実なので関心は倍化する。法廷ではかなりえげつない質疑応答があるので、枝きりバサミで切断した「もの」が小枝か大枝だったのか妻に質問が浴びせられるかも(検察側から・・報復の不当性を実証)。
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事件現場となった周辺のビル群。現在も弁護士モールで使用しているオフィスは4階にある。
「X」氏の略歴を当該事務所のHPから抜粋(年号は平成表記から西暦に変更)。週刊新潮の記事もこのHPから要約している。
2005年11月 ニューヨーク州司法試験合格。
2006年4月 ニューヨーク州弁護士登録。
2006年9月 松尾綜合法律事務所に復帰(同事務所パートナー)。*世話になった事務所
2007年4月 モリソン・フォースター外国法事務弁護士事務所に移籍。
以下、略。
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2015年07月28日

interval(写真日記7月28日 江戸川乱歩と山田風太郎の因縁の祥月命日)

江戸川乱歩の臨終記はあるが、葬式の記録はまだないようだと、「乱歩先生のお葬式」と題した短文を書き残した山田風太郎、奇しくも乱歩が亡くなった36年後の同月同日にこの世を去った。生前、両氏はそれぞれの住所を行き来するなど交流があった。自らの命日に乱歩氏、怪人二十面相のような黒マントを身にまとい、ニヤリと地底からあらわれるやいなや、病床の風太郎氏の足首をむんずとつかんで冥界に引きずり込んだとしか思えない。
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(左写真)江戸川乱歩邸に残る書斎(蔵)。(右写真)乱歩邸1階に飾られている黄金仮面。撮影2006年。
山田風太郎のエッセイから。
<昭和40年7月28日(水)晴 (略) 奥の八帖(じょう)の中央に横たわれる乱歩、痩(や)せて、薄いふとんの下のからだは小さく、平べったく見える。生前の乱歩氏とは別人のように見えるが、しかし死ぬ前はもっと別人のようで、息をひきとったあと、みるみる生前の顔にもどってきたのはふしぎだとみないう。怪人二十面相か。痛恨きわまりなし。>
江戸川乱歩の葬儀は、翌月8月1日(日曜)に青山葬儀場で執り行われ、風太郎氏は受付を務めている。風太郎氏曰く「およそ会葬者は千人くらいであったろう」。
推理小説の巨星、江戸川乱歩(本名:平井太郎)1965年(昭和40年)7月28日逝去。 「魔界転生」などの妖異小説を得意とした山田風太郎(本名:山田誠也)2001年(平成13年)7月28日逝去。両氏の作品をはたして生きているうちに全て読み終えれるか心もとない。風太郎氏の忍法シリーズは10作品ほど読了したところで停滞中。乱歩氏は全作読みきれそうな予感(断言)。
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2015年06月29日

interval(写真日記6月29日 東京の変貌・新旧対比シリーズその8)

新旧対比シリーズその8・・・その8って、えっ、8回もやってる?
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(左右写真)歌舞伎町1丁目の新宿ミラノ座(左側)とオデオン座(右側) 2006年7月撮影。両館とも閉鎖され建て替えられようとしている。
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(左右写真)下北沢駅北口の「駅前食品市場」(世田谷区)。2005年10月撮影。戦後の北口マーケット跡。現在は解体され、一部が小公園(ミニ広場)となっている。
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(左右写真)大手町の三井物産本社ビル(左は解体前)2005年10月撮影。現在、東隣の三井物産別館と同時進行で解体建替工事中(2019年竣工予定)。もちろん平将門首塚には手を出していない(必ず祟りがあるため工事概要から外されている)。 
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(左右写真)大手町2丁目の逓信総合博物館。2008年12月撮影。現在、解体され更地となっている。2018年に新ビルが竣工予定。この博物館に展示されていた平賀源内のエレキテル(静電気発電機)は何処へ。

*近日、新旧対比シリーズその9へ続く。
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2015年05月20日

interval(写真日記5月20日 「陸軍秘密謀略戦用施設・登戸研究所跡」を準備中)

戦前、現・川崎市多摩区のある丘陵に旧陸軍の秘密謀略戦用研究開発施設「登戸研究所」(秘匿名)が設置されていた。城塞のように四方を土塁で囲み、厳重な警備体制を敷いたその施設は、敗戦後も内部資料を廃棄・隠匿し、一部の関係者・研究者以外には知られることなく年月が経過している。戦前の残存施設はほとんど手を加えられることなく朽ち果て、消滅している。「登戸研究所」(4セクション)が研究開発した兵器は(「原爆」を除く)多種多様で、そのアイデアの奇抜さに驚くものから残忍な生物化学兵器まで、戦争遂行を影で支え続けていた。有名な開発兵器は「風船爆弾・細菌撒布」を筆頭に、「怪力電波」(=殺人光線)、「人工雷」、「生物化学兵器」、「諜者カメラ」、「毒物合成」、「秘密通信」、「対動物諜略兵器」、「対植物諜略兵器」、「秘密インキ」(水や火で文字が浮き出る)、「紙幣印刷」(経済戦用偽札)などなど。
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写真は2009年に老朽化を理由に解体された26号棟。戦時中、贋札倉庫(第3課担当)として使用され、陸軍中野学校からの要員(8名)が上海経由で大陸へ贋札を運搬し、対国民政府経済攪乱戦にあたっていた。
現在、登戸研究所跡はそっくり明治大学生田キャンパスとして利用されている。登戸研究所正門がそのまま大学正門として使われている。
*「陸軍秘密謀略戦用施設・登戸研究所跡」として4〜5パートに分けてアップする予定。資料が限定されているため、周辺に住む80歳以上とみられる方々に話を聞くも、手ごたえある返答はない。
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2015年04月02日

interval(写真日記4月2日 谷崎潤一郎の「創作ノート」発見)

きょう(4月2日)、来月5月7日に本社移転(京橋から大手町に)を控える大手出版社中央公論新社から、谷崎潤一郎の創作ノート「松の木影」を撮影した印画紙(255枚)が見つかったと発表された。空襲による焼失を危惧した谷崎が創作ノートを分散するために(昭和17年頃に)撮影させ、知人(故・笹沼源之助氏)に預けていたものとみられる。現存が確認された「松の木影」は、「春琴抄」、「陰翳礼讃」、「細雪」等を構想していた1933年(昭和8年)春から1938年(昭和13年)夏にかけて書かれた創作メモで、谷崎研究の第1級資料と評価を受けている。
創作ノートが書かれた時期と重なる昭和11年11月から昭和18年深秋まで谷崎が住んだ兵庫魚崎の「倚松庵」(いしょうあん)の写真を数枚アップ。大書「源氏物語現代語訳全26巻」を完成させた住まいであり、昭和18年1月に中央公論から発表された「細雪」のモデルとなった<芦屋の家>である。
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     倚松庵(写真に文字入れ)。住吉川と六甲の山並み。
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倚松庵のアプローチ(庵号は夫人松子の名より)。この現存する木造の建物が「細雪」の舞台であり、この場所で「盲目物語」「猫と庄造と二人のをんな」「源氏物語現代語訳」が執筆されている。

*この項目は写真等を追加し、保存版にする予定。
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2015年02月02日

interval(写真日記2月2日 秋葉原無差別殺傷事件(被告加藤智大)の最高裁判決、死刑確定)

本日午後3時、秋葉原無差別殺傷事件の最高裁判決が言い渡される。
被告人加藤智大(32歳、事件発生当時は25歳)には、2011年3月24日に一審判決(東京地裁・死刑判決)、2012年9月12日に控訴審判決(東京高裁・控訴棄却し死刑判決支持)が下されたが、同年9月25日に「事件当時は心神喪失、心神耗弱だった疑いがある」として最高裁へ上告していた。
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(左写真)間もなく判決が言い渡される最高裁判所(千代田区隼町)。 (右写真)事件現場交差点角に設置された献花台(事件翌日の午前撮影、献花等はまだ少ない)。
2008年6月8日(日曜)12時30分過ぎに秋葉原の神田明神通りと中央通りの交差点で事件は発生した。加藤智大(ともひろ)被告が自ら運転する2tトラック(いすゞエルフ=レンタカー)で神田明神下交差点方向からジグザグ運転を行いながらスピードを緩めることなく交差点に突っ込み、歩行者5人をはねとばした(死亡3人・負傷2人)。さらにトラックを停め、ダガーナイフとペティナイフを手にして交差点付近で救助にあたっている人を襲撃し、次々と周辺で歩行者12人を刺して回った(死亡4人・負傷8人)。事件後(2014年)、加藤智大被告の実弟は自殺している。
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(左写真)現場交差点角のソフマップ本店従業員が撮影した写真が翌日午前、開店と同時に店舗外に展示された。 (右写真)新聞各紙は号外を即時に発行。
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(左写真)交差点に残る現場検証のチョーク痕。 (右写真)荻野尚巡査部長が格闘の末、加藤被告を現行犯逮捕した現場。写真は事件翌日2008年6月9日午前の撮影。

2月2日午後3時過ぎ、最高裁(第1小法廷・桜井龍子裁判長)は上告棄却の判決を言い渡し、加藤被告の死刑が確定した。
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2014年05月22日

interval(旧称「トルコ風呂」の残滓)

1980年代前半、トルコ共和国出身の在住者・留学生を中心に、自国名が性風俗店の名称に使用されていることに対する反発・抗議が強まってゆく中、1984年(昭和59年)12月19日、東京都特殊浴場協会は、旧名称の廃止と新呼称「ソープランド」(一般公募による)への変更を発表する。すでに同年8月には、警視庁の主導によって風営法の大幅改正法案(新風営法)が国会を通過しており、全日本特殊浴場協会連合会(全国組織1970年発足)は、新風営法施行に対する対応準備を進めながら、一斉に旧名称の看板等の撤去と新呼称への切替え取替え作業を会員各店に促してゆく。 
以下は、全国的に非常に稀少となった「旧名称」の残滓を確認できる画像です。
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  東京・亀有の旧赤線地域跡に残る旧名称

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  和歌山市内を流れる大門川沿いのソープビルに残る旧名称

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   岐阜市内の金津園(ソープ街)のごみ箱に残る旧名称「生唼トルコ」
  *「唼」はすするの意  読みに興味ある方は検索してください

注:撮影のためにソープ密集地を訪れていますが、管理人はソープは大の苦手です。
  理由は、すぐにのぼせて昏倒してしまうため。シャワーのみで涼しいお店なら
  大好きなのです。なので、温泉などももってのほか。
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2014年05月21日

interval(エロギャグ看板)

最近、通常の更新をサボって、「interval」と称したお手軽な更新が続いています。
今回は、エロギャグ系看板ですが、どうしても風俗産業に偏ってしまいがち。新宿2丁目、ゴールデン街、大阪の堂山などに「おもしろエロ看板」がありそうなのだが、もの足りないものばかり。
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  新宿西口・思い出横丁の老舗ゲテモノ店「朝起」(あさだち)ストレートな
  名称だがメニューをみれば納得 豚の子宮・金玉・スッポン・カエル・・・
  勃ちそうです 昼からランチ営業(女性客が目立ちます) 

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  横浜・宮川町のソープが集まっている路地・・看板を眺めていると
  幸せな気分になれる

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  大阪・京橋の風俗集中ビルに入っている有名風俗店「玉乱堂」(たまらんどう)
  京阪電車の車窓からも巨大看板がみえます。看板を囲み記念写メを撮る若者
  グループ続出 *アナログ携帯で撮影

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  都下随一?の町田市の繁華街にある「金玉霊園」(読みは看板にあるように
  <きむぎょく>です 電話すると店名をどう名乗るか試さないように
  巨根割が設定されているが・・・自称巨根ということでいいのか 気になる
  看板のエンジェルおじさんの微チンがかわいい
posted by t.z at 01:30| Comment(0) | 写真日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする