2017年03月12日

福生 横田基地 モスラの鱗粉にまみれたい

モスラが舞い降りた所縁の地を訪れ、微かに残るに鱗粉(りんぷん)にまみれたいシリーズ。
映画「モスラ」昭和36年度東宝作品から。
(スタッフ 脚本・関沢新一、監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二)
yokota mothra01.jpg
 161 横田基地
     滑走にうつる輸送機。金属音メロデーが流れる。
 162 操縦席から見た目
     ぐんぐん流れる滑走路。突如、亀裂が生じる。
     「あっ」と驚く飛行士。
     前方、滑走路を突破ってモスラが現れると、怪声をあげる。
     輸送機、咄嗟によけ様と、ななめ滑空に移るが、翼がモスラにふれて、そのまま
     格納庫に突進!! 爆発をおこして、大きく燃えあがる。
     鳴り渡るサイレン!!
     モスラ、完全に体を現し暴れ廻る。
yokota mothra02.jpg
(写真)輸送機が突っ込んで爆発炎上した横田基地の格納庫。建替えたようだ。 
 170 街・あわてふためく都民たち(避難民)
     拡声器を通じてニュースが警く!!
     ニュース「臨時ニュースを申し上げます。東京第三ダム出現後、姿を消していた大怪獣は
     今日突然横田基地に巨体を現し、猛威をふるいつつ、東京方面に向いつつあります。
     政府では直ちに第一種、非常時態勢を発令防衛の万全を期して居ります、都民の皆さんは、
     それぞれ各区防衛隊の指示に従って行動して下さい、尚以後の情報においてこの大怪獣を
     モスラと呼称します」
yokota mothra03.jpg
yokota mothra04.jpg
(写真)姿を消していたモスラは、突然横田基地に巨体を現す。滑走路付近の着地点を捜すが、
基地の建物屋上そこかしこにカービン銃を携えた米兵が目を光らせている。うろちょろしていると
撃たれそうだ。この辺りということにしておこう。
 174 咆えるモスラ!!
     砲口を開くジープ砲!! 大空より攻撃を加える戦闘機隊!!
 yokota mothra05.jpg
(写真)you know Mothra? (モスラって知ってる?)。無反応。モスラが来襲した時には、まだ
生れてないか・・・。*Moth=蛾(が)。
防衛隊が命名した「モスラ」は、横田基地に鱗粉をまき散らしながら渋谷方向に飛び去っていった。
まもなく渋谷駅周辺は大混乱・・阿鼻叫喚に陥る。
 
「日本シナリオ大系第三巻」1974年2月刊より抜粋。*脚本の数字は、シーンナンバー。
posted by y.s at 18:11| Comment(1) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月14日

町田 映画「まほろ駅前狂騒曲」のロケ地を歩いて

・・・一応東京都なのだが、なぜか横浜中央交通、略して横中が、市内のバス路線を一社独占しているのだ・・・その神奈川県と揶揄される東京都下南西地域の最大の町「まほろ市」(まもなく実際に「まほろ市」に市名変更する住民投票があるかも!?)が、再び映画「まほろ駅前狂騒曲」のなかでそのヴェールを脱ごうとしている(10月18日全国公開)。まほろ中学からの同級生だった多田啓介と行天(ぎょうてん)晴彦の便利屋コンビが、まもなくまほろ市内を走り回る。走れ、便利屋。
*映画は10月18日公開で、現在は10月14日。予告編と公開記念イベントからの情報です。若干だが調査もしてます。映画「 まほろ駅前狂騒曲」予告編 http://www.youtube.com/watch?v=sJDwC-Q5xcs
   mahoro k01.JPG   mahoro k02.JPG
(左写真)「多田便利軒」が移転した建物(旧事務所から約80mの内藤ビル)。新事務所は外階段を上った3階の端にある。予告編では下から4段目に手書きで「多田便利軒」とペイントされている。(右写真)「多田便利軒」に上がる階段に貼られている映画「まほろ駅前狂騒曲」のポスター。
mahoro k18.JPG   mahoro k19.JPG
 (左写真)便利軒の事務所兼住居(3階)の内側から見えるガラス窓の赤い囲(碁)の文字。内藤ビル3階には実際に「日本棋院まほろ支部」が入居しており、一般碁席が設けられている。(右写真)凪子(本上まなみ)がこの乾物屋河原本店(右のペイントされた建物)の路地を便利軒(奥左側)に向って歩くシーンがある。便利軒の屋上(実際の内藤ビル屋上で撮影)シーンで後方の大きなビル(MINAミーナ)が背景に写っている。
   mahoro k20.JPG  mahoro k21.JPG
(左写真)元旦の日の出前に、便利屋がそろって初詣に訪れた神社(便利軒に最も近い神社は町田天満宮だが、ロケ地はつくし野2丁目の杉山神社)。 (右写真)便利屋と弁当屋(「希林」)の店主山田とは馴染みで、支払いはいつもツケ。ロケ地はTVシリーズと変わらず、ハコキュー相模大野駅を降りて、西方向に伸びる商店街をまっすぐ行った右側。だったのだが、大規模開発により商店街もろとも道路も消滅してしまった(たしか風俗店が数軒あったが、それも消滅)。  
mahoro k22.JPG  mahoro k23.JPG
(左写真)多田は行天が倒れたことに気が付かず、撮影位置付近まで来てやっと振り返った。実際に右側には広い公園(神社の敷地?)がある。 (右写真)頭にボールが当たった行天が気絶して倒れていた場所。
   mahoro k03.jpg  mahoro k04.jpg
(左右写真)まほろ駅前カリヨン広場(映画第1作・TVシリーズでも度々登場する広場で正式名称である)。怪しげな団体HHFA第3ファーム(前身は「天の声教団」で行天の母親が信者だった)の姿が現れそうだ。広場の脇には絹乃道の道標が建つ。
mahoro k24.JPG  mahoro k25.JPG
(左右写真)柏木亜沙子(真木よう子)が店主を務める「キッチンまほろ」。店頭には改称した(?)かと思えるほど大きな「キッチンまほろ」のポスターが貼り出されている。今作でも店前の駐車場で夜間撮影が行われた。便利屋が車の中で助手席の亜沙子さんにいきなりキスをしようとしたシーンだ。ロケ地は、おなじみのハコキュー江の島線中央林間駅から少々歩いた所の「欧風台所ラ・パレット」。広い駐車場がある。
mahoro k05.JPG  mahoro k06.JPG
(左写真)便利屋多田(瑛太)が熱いまなざしを注ぐ亜沙子さん(真木よう子)が通う美容室。美容室「bleu」の店内がロケセットに使われた。すぐ北側のハコキューの踏み切りは画面に登場するが、この店舗の外観は映し出されなかった。 (右写真)東急イースト向い側のデッキ通路で、便利屋と亜沙子さんのスイートなシーンが撮影された(手前の手すりの所で亜沙子は便利屋の腕に手をそえた)。便利屋は薬師池公園にある「まほろリス園」に亜沙子さんをさそう。亜沙子さんは、うれしそうに微笑んで承諾する。便利屋ははるちゃんと遊んだリス園が相当気に入っていたようだ。この2階デッキ通路は、映画化第1作でも登場している(画面の向こう側の通路の位置)。
mahoro k07.jpg  mahoro k08.jpg
(左右写真)国際版画美術館がある広大な芹ヶ谷公園。「多田便利軒」シリーズでおなじみの緑溢れる公園だ。便利屋のかたわれ行天晴彦の別れた妻の凪子(本上まなみ・元内科医)と娘(はる役=岩崎未来)が噴水前のシーンに登場。ピンク色の「くまくま」という名のウサギのぬいぐるみが大好きな女の子は、行天の精子提供(体外受精)によって生まれた。行天の名「晴彦」から一文字をとって「はる」と名付けられた。凪子には、過去も現在も女(レズ)のパートナーがいるのだ。
mahoro k09.JPG  mahoro k10.JPG
(左写真)便利屋が犬の散歩の代行をした公園(まほろ市が管理する原町田青空広場)。便利屋が知っているか分からぬが、2007年4月に公園奥の団地で全国中継された立てこもり発砲事件が発生した。SAT(特殊急襲部隊)が出動し、奥に見えるトイレの壁には流れ弾の痕が残っていた。(右写真)まほろ駅前の横浜中央交通(略して横中)のバス。原作者三浦しをんが直木賞(第135回・2006年上期)を受賞した小説「まほろ駅前多田便利軒」の冒頭に横浜中央交通(略して横中)の件(くだり)が描写されている。実際は神奈川中央交通(略して神奈中)。「ハコキュー」は小田急で、JR八王子線はJR横浜線だ。「まほろ市」が現実のものとなれば、すべての名称が小説と同様になるかも。
mahoro k11.JPG   mahoro k12.JPG
(左写真)元・かけ足通り(なぜ駆け足かは面倒なので説明を省略・・駅の改札口の位置から説明しなければならない)にある大型タバコ専門店。早坂刑事(元タイガースメンバー岸部シロー=岸部一徳)が便利屋に店先で詰問した場所(映画化第1作では早坂刑事は厚木基地ロケが多かった)。 (右写真)まほろ市で最高に怪しげでトリップできる雰囲気の仲見世商店街の暗がりに貼られていた映画ポスター。
mahoro k26.JPG  mahoro k27.JPG
ラストシーンで使われた坂道(中央桜通り)。ロケ当時には桜の古木が両側に並んでいたが、桜並木再整備事業が一帯で推進されており(植え替え事業)、現在は全て伐採され1本も残っていない。
mahoro20k30.JPG   mahoro20k31.JPG
(左写真)新事務所の蔵書「かりあげクン」(作・植田まさし)。便利屋の愛読書なのか? (右写真)イメージシーンに使われた行天の指名手配書。
  mahoro20k32.JPG   mahoro20k33.JPG
(左写真)小道具のまほろ市の電話帳。「りす園」の写真が中央に配されている。 (右写真)撮影台本。
mahoro k13.JPG  mahoro k14.JPG
(左写真)仲見世商店街にある大判焼のマルヤ製菓の店頭に飾ってある行天春彦(松田龍平)のサイン色紙(隣に便利屋社長のサインも置いてある)。 (右写真)週刊文春に連載された三浦しをん作の「まほろ駅前狂騒曲」。
mahoro k28.JPG  mahoro k29.JPG
(左写真)新宿3丁目のシネコン・新宿ピカデリー2階のショップで。 (右写真)まほろ駅前カリヨン広場に隣接している書店の店頭にならぶ原作本。久美堂本店。
  mahoro k15.jpg   mahoro k16.jpg
映画「まほろ駅前狂騒曲」ロケ地を中心にして「まほろ市」の部分マップ。

*三浦しをん<町田 高原書店と作家三浦しをん エッセイ集「妄想炸裂」より>http://zassha.seesaa.net/article/403997733.html
posted by y.s at 21:40| Comment(0) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月19日

町田 高原書店と作家三浦しをん エッセイ集「妄想炸裂」より

直木賞作家・三浦しをん(女性)が、作家デビューと重なる時期(約2年余)に勤務していた古書店を、エッセイ集「妄想炸裂」の各章のエピソードより紹介。
当時、町田市に在住していた三浦しをんの様々な体験は、29歳で受賞した直木賞作品「まほろ駅前多田便利軒」をはじめ、多くの小説・随筆に文字として散りばめられている。なお、三浦しをんが勤めていた当時の高原書店は、移転しており現存していない。高原書店跡の写真に、彼女のエッセイ集「妄想炸裂」(2001年7月刊)に収められたエピソードを重ねてゆく。
   takaharas01.jpg  takaharas02.jpg
(左写真)旧高原書店が入居していた小田急線町田駅前のPOPビル(手前線路は小田急線) (右写真)POPビル1階(エッセイに書かれた4階の「宅建取得専門学校」(=日建学院)は退去している)
takaharas03.JPG  takaharas04.JPG
(左写真)POPビル1階から3階(旧高原書店フロア)まではエレベーターが設置されている。(右写真)POPビル3階旧高原書店入口(シャッター位置)から階段踊り場。壁が崩壊した所と想定。日○研は現在も同じ階(5階)に入居している。
<<アルバイト先の古本屋のあるビルには、階下には居酒屋、上の階には宅建取得専門学校、予備校、日能○などが入っている。
数ヶ月前から、階段の踊り場の壁が崩壊しはじめた。最初はこぶし大の穴があいていたのだが、それがみるみるうちに大きくなり、ついには人間の背丈ほどの大穴になった。
(略) 真犯人を捕まえるために、店のシャッターを下ろしてから、じっと息を殺して階段の気配をうかがった。すると、上の階から水牛の群の大移動のごとき雄叫びと足音が響きだした。○能研の子供たちが授業を終えて階段を駆け下りてきたのだ。同時に、閉まったシャッターの向こう側で、壁を殴ったり蹴ったりしている音がする。私たち古本屋のアルバイト連中は、防火扉をドカーンと開け、「こるぁ!悪ガキどもめがぁ!」と飛び出した。(略) とにかく、犯人は日○研のガキと判明し、管理人の爺様と対応を協議したが、やはり犯行現場を取り押さえ、弁償させるしかないようだ。>>「四角い世間を教えたい」(「草思」2001年3月号初出)より
takaharas05.JPG  takaharas06.JPG
(左写真)旧高原書店は3階フロアを占めていた。現在は、スガナミミュージックサロン町田が3階フロアに入居している。(右写真)旧高原書店内部。左端に2階から上がってくる専用エスカレーターが見える。廊下部分にも書棚が並べられていた。業務用エレベーターは突き当たりを左に曲がった所にある。
*スガナミミュージックサロン町田の教室内であり、無断立ち入り禁止。撮影位置の後ろにフロントデスクがある。スガナミミュージックサロンさんから内部撮影と掲載の許可を得ています。スガナミミュージックサロンと連呼しているのは、心よく許可を頂けたため。

<<実は、あんちゃんと私は某古書店で、ヴィンテージ漫画と同人誌の値付け担当をしている。往来ではあまり暴露されたくない職業であるが、オタクアイテムの値付けは、趣味と実益をかねた楽しい仕事だ。おかげさまで、あんちゃんと私は適材適所との呼び声も高い。あんちゃんは週に三回(推定)は「まんだ○け」に行っている。私も昔は「まんだら○」を心のオアシスにしていたものだ。>>「人はパンのみにて生きるにあらず」(「しをんのしおり」2000年6月18日初出)より
日○研のガキと悪戦苦闘を続ける三浦しをんだが、古書店での業務は「趣味と実益をかねた楽しい仕事」であったようだ。

takaharas07.JPG  takaharas8.JPG
(左写真)「管理人の爺様」が詰める現・警備室。業務用出入口。写真右奥側に業務用エレベーターがあり、三浦しをんも勤務の入退に利用していた。(右写真)「○能研のガキどもが遊んでいた」業務用エレベーター。
<<はあ、今日も一日よく働いた。帰るっぺかなあ、とエレベーターを呼んだのだが、待てど暮らせどやってこない。また○能研のガキどもが業務用エレベーターで遊んでいるのだ。くっそー、時給労働者の恨みを知れ、この扶養家族めが!と毒ずいていると、クスクス笑うガキが詰まったエレベーターがチ−ンと開き、「やーい、オバサンー」という捨てぜりふと共にチーンと閉まった。>>「四角い世間を教えたい」(「草思」2001年3月号初出)より

takaharas09.jpg  takaharas10.jpg
(左写真)2001年冬、「寒風吹きすさぶ店外で均一セールの店番」をしていた1階のオープンスペース (右写真)三浦しをんが勤めていた旧店舗と移転した現店舗を赤○表示。

<<さて、独り寝を堪え忍ぶ寒い夜から解放された私は、よりいっそう張り切ってアルバイトに通っております。そして、「今日もまた、家に帰れば電気毛布とのあったかーい一夜が待っているのね、ぐふふ」などと新婚ホヤホヤみたいに浮かれながら、寒風吹きすさぶ店外で均一セールの店番をしていた。すると、一人のおばさんが現れたのだ。(略)>>「悪い男」(「しをんのしおり」2001年1月29日初出)より

高原書店&三浦しをん 略歴
1974年(昭和49年) 町田市にて高原書店創業オープン(旧市役所庁舎近辺)
1976年(昭和51年)9月23日 三浦しをん誕生 東京都世田谷区生まれ 血液型A 乙女座
1985年(昭和60年)(株)高原書店本店移転オープン・法人化(資本金1千万円) 
         町田駅北口前POPビル内(旧みどりやビル)町田市森野1-37-1
         営業時間10時〜20時30分 定休第3水曜
            *NTTタウンページ町田相模原版2000年5月より
1995年(平成7年)3月横浜雙葉高校卒業(横浜市中区山手町・カトリック系中高一貫の私立女子校)
         4月早大一文入学(演劇専修に)
1999年(平成11年)3月早大卒業 外資系出版社で事務アルバイト
         7月頃 小田急線町田駅北口前の古書店高原書店に勤務(アルバイト)
2000年(平成12年)4月 長編小説第1作「格闘する者に○」草思社より刊行
2001年(平成13年)6月1日 高原書店移転 現在地の町田市森野1-31-17に
              営業時間10時〜20時  定休日 第3水曜日  
         7月 エッセイ集「妄想炸裂」新書館より刊行
         この頃 高原書店辞める(アルバイト)
2005年(平成17年)12月7日 高原書店経営者高原坦氏逝去(61歳心筋梗塞)
           1階通路にスーツ姿の高原坦氏のパネルが飾られている。   
2006年(平成18年)妻高原陽子が後任の代表取締役に就任 
       8月「まほろ駅前多田便利軒」文藝春秋社より刊行
          *2006年度上半期の第135回直木三十五賞受賞作品
2009年(平成21年)10月「まほろ駅前番外地」文藝春秋社より刊行

2011年(平成23年)4月23日 映画「まほろ駅前多田便利軒」公開
        小田急線町田駅北口前から北に延びる通りを「まほろ横丁」と命名
        9月 「舟を編む」光文社より刊行
2012年(平成24年)4月 「舟を編む」第9回本屋大賞に選出
2013年(平成25年)4月 映画「舟を編む」公開
         10月「まほろ駅前狂騒曲」文藝春秋社より刊行
2014年(平成26年)10月18日 映画「まほろ駅前狂騒曲」公開

   takaharas11.JPG   takaharas12.jpg
(左写真)2011年、映画「まほろ駅前多田便利軒」公開にあわせて、高原書店が主導し、小田急線町田駅北口前から北に延びる通りを「まほろ横丁」と命名。(右写真)三浦しをんの退職と前後して本社移転した現店舗ビル。
takaharas13.jpg  takaharas14.jpg
(左写真)現店舗の入り口。右部分の庭に置かれたワゴンで分厚い全集等の50円セール(毎月1日〜10日限定)が行われる。通常でも100円均一だ。 (右写真)店内各階は項目別配置。1階の絶版漫画が置かれている部屋が楽しい。休憩用ベンチも置かれている。
takaharas15.jpg   takaharas16.jpg
(左写真)三浦しをんコーナーに掲げられている直筆サイン(2006年7月)  (右写真)参考にしたエッセイ集「妄想炸裂」新書館2001年7月刊

高原書店HP http://www.takahara.co.jp/
*最新情報 2014年8月23日〜31日まで「夏の古書20%オフセール」を本店で開催(ネット販売は対象外) チラシに200円割引券付き

写真撮影2010年3月(一部2014年)
リンク
町田 映画「まほろ駅前狂騒曲」を歩いてhttp://zassha.seesaa.net/article/407124543.html
posted by y.s at 18:43| Comment(0) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月18日

町田 「文学散歩」創始者 野田宇太郎の墓

詩人・文学評論家の野田宇太郎が眠る青柳寺の墓前に立つと、手を合わせるのと同時に心の内で報告をする。「またあなたの後ろにくっついて網島まで行って来ました・・同じように寺の門をくぐって」(「野田宇太郎 文学散歩第17巻 関西篇」の「心中天の網島」の項を読んで、大阪城北方の網島町を訪ねた時の報告・・今年の8月)。青柳寺はそれほど遠方ではないため時々「文学散歩」がてらお参りしているのです。
戦後の焼け跡だらけの東京の市街を歩き廻り、失われた文学の故地についてのエピソードを語りながら、記憶の断絶が起こらぬようにマーキングし後続の世代に重要な情報を伝えた・・・その功労者が「文学散歩」の祖・野田宇太郎。
<着古した破れ外套(がいとう)のポケットに、黄色の鉛筆一本と、小さな手帳、それに一冊の新東京地図というのをしのばせた。これがすべてである。履き馴れた日和下駄(ひよりげた)に蝙蝠(こうもり)傘というあの三十六年前の「日和下駄」の雅士(がし=永井荷風のこと)とはくらぶべくもない私の心と姿である。古きものは滅びる、新しきものは古びる。それは自然の理(ことわり)である・・・>野田宇太郎「東京ハイカラ散歩」より・・・数々の著作をなしていた町田市図師町の小高い丘の住居(1973年より10年住む)から、立川市砂川町8丁目に移転して間もない1984年(昭和59年)7月20日の午後に急性心筋梗塞のため逝去。享年74歳。7月22日に妻トシさんを喪主として砂川町の自宅で葬儀が執り行われている。
戒名・・・・文學院散歩居士。
   noda grave01.jpg   noda grave02.jpg
 墓石の表は俗名が刻まれているが 右側面の戒名は面目躍如の「文學院散歩居士」
  noda grave03.jpg   noda grave04.JPG
妻トシさんは2009年(平成11年)9月に83歳で亡くなられている 青柳寺の広い墓域の北側付近に位置する野田宇太郎の墓の周囲には田中冬二ら文学者の墓が取り囲んでいる 右写真は高知出身の詩人・乾直恵の墓・・前面が室生犀星の書で側面が野田宇太郎の書
noda grave05.jpg noda grave06.JPG
青柳寺の山門・本堂 左手(西方向)にゆくと墓域に・・この坂の奥に野田宇太郎の墓
noda grave07.JPG  noda grave08.jpg
小高い墓地の端から望む町田駅方向 地図は2009年頃に作成分

以下は 上記の町田市図師町の小高い丘の上にあった住居(1973年より10年間居住)の写真2枚
<坂を上り詰めた奥の疎林の下影に一軒離れて寂しい寓居がある・・・2階の座敷の奥から相模の大山や・・>野田が語った西向きの書斎からの風景は 故・遠藤周作が同じように語った玉川学園の丘上の住居とそっくりです
noda grave09.jpg noda grave10.jpg
「新東京文学散歩」を著した書斎があった野田宇太郎旧居跡 町田市図師町2228-8番地
  noda grave11.jpg   noda grave12.jpg
参考にした「東京ハイカラ散歩」1998年刊 「すみれうたの思い出 回想 野田宇太郎」1987年刊
posted by y.s at 23:26| Comment(0) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月06日

武蔵野市 ゾルゲ(ゾルゲ事件)の恋人・石井花子の終焉の地

1941年(昭和16年)10月18日の国際諜報団の一斉検挙に際して、首謀者ゾルゲ(麻布区永坂町30番・47歳)らの逮捕は完全に秘匿されました。昭和17年5月16日に東京刑事地裁への予審請求を待って、夕方5時に初めて事件の全容が司法省から公表されたのです(新聞報道は17日朝刊=下の写真参照)。判決は昭和18年9月29日。ゾルゲの処刑は昭和19年11月7日(ロシア革命記念日に合わせて)に巣鴨拘置所で執行。
この事件は何度か映画化されていますが、2003年6月公開の映画「スパイ・ゾルゲ」(監督・篠田正浩)がなかでも評価できる作品。女優・葉月里緒菜が演じていた女性がゾルゲの恋人であった三宅華子(役名)。実在の女性であり、本名は「石井花子」です。銀座5丁目の並木通りで昼間からレストランとしても営業していたドイツ酒場「ラインゴールド」でウエイトレス(通称アグネス名で)として働いていました。1935年10月4日夜、当時40歳だったゾルゲと知り合い、またたくまに恋人関係になっています。戦後においても、その付近ではドイツ料理「ケテル」が(秀吉ビル取壊しまで)営業しており、ドイツ料理店が集中している地点といっていいかも。彼女は生涯独身を貫き続け、ゾルゲの復権(旧ソ連から2重スパイの嫌疑)などに献身した人生を送っていましたが、2000年(平成12年)7月1日に亡くなられました。一部新聞では大きく扱われ、ゾルゲ事件の幕が完全に閉ざされたのだと感じた日になったのです。その著書「人間ゾルゲ」(1967年4月刊)では、ゾルゲとの知られざる関わりが詳述されており、映画のラストシーンにも描かれていた処刑後の行方不明状態の遺体を雑司ヶ谷共同墓地で捜し出す過程には特に興味を抱きました。また同著には、1936年8月19日付けゾルゲ撮影(カメラはライカ?)の石井花子のポートレートが載っています。葉月里緒菜とはまったく似ていないやや丸顔です。
*参照 「人間ゾルゲ」石井花子 (第1章「めぐりあい 酒場ラインゴールド」にゾルゲとの店での出会いが詳細に記述されてます)
hanako und sorge01.jpg hanako und sorge02.jpg
撮影当時は「石井」の表札が掲げられており 住所は武蔵野市とまでで止めておきます 右写真が終焉の地です 時間を要したが住宅地図からなんとか探しました
hanako und sorge03.JPG hanako und sorge04.JPG
現在は 石井花子さん自らが雑司ヶ谷共同墓地から改葬したゾルゲの墓で永遠に一緒の時間を送っています 撮影はゾルゲの命日に近い2010年11月 多摩霊園です
hanako und sorge05.JPG   hanako und sorge06.JPG

 hanako und sorge07.jpg    hanako und sorge08.jpg
ゾルゲ事件を伝える東京日日新聞 昭和17年5月17日付け朝刊 検挙者全員の略歴・本籍・住所(旧表示)が掲載されてます  (右写真)石井花子著「人間ゾルゲ」1967年4月刊
posted by y.s at 18:06| Comment(4) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

町田 エイベックス 創業地と移転先

2013年7月に配布された「エイベックス第26期株主通信」の<25周年を迎えて>に記載された社史(一部のみ下写真参照)を主に参考にしてます。
1988年(昭和63年)4月に、東京都町田市原町田2丁目のMSの1室で「エイベックス・ディー・ディー(株)」が設立され、海外のダンスミュージックレコードの輸入業務を開始(会社登記はさらに遡る)。主要メンバーは松浦勝人氏ら数人。社名「エイベックスavex」は「AUDIO AND VISUAL EXPERT」の略。
1990年9月にレコードレーベル「avex trax」を設立し、東京ドームでの巨大ダンスイベント「avex rave」を開催・・・ダンスミュージックCDなどの販路を急拡大し高成長を遂げてゆく。
そして1993年5月に青山通りに面した住友生命青山ビルに本社を移転(ビル買取りは2002年3月エイベックスビルと改称)。
avex01.JPG avex02.jpg
中央の白いビルが創業地・・原町田2丁目4−3 部屋を聞いてみたが不明 右写真の撮影は2009年1月・・街路樹が植わっていない
avex03.JPG avex04.jpg
徒歩数分の2番目の移転先・・住所は原町田2丁目7−4ですが現在4号は欠番(3号に併合)当時は角地が4号 右写真(2009年1月垣根に植木があった)は東側(6号)から角を撮ったもの
急躍進を遂げたavexはこの地から現在の自社ビルである南青山に巣立ってゆく

avex05.jpg   avex06.jpg
エイベックス第26期株主通信の一部  小田急線町田駅から創業地までは徒歩・・10分くらいか 駅からはミニ渋谷と呼ばれるほどの繁華街が広がるので寄り道必至・・・

南青山・エイベックスグループ http://zassha.seesaa.net/article/9561264.html


posted by y.s at 22:20| Comment(0) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

町田 「まほろ駅前番外地」(テレビシリーズ)・・・タイトルバックが(悲)

町田市在住の作家・三浦しをん氏の原作を映画化した「まほろ駅前多田便利軒」(2011年4月23日公開)に引き続いて、本年1月11日(深夜)からテレビ東京系列でテレビドラマシリーズとして「まほろ駅前」が同じメーンキャストで放送開始。まほろ駅前シリーズ第2弾として位置付けられるドラマで、タイトルは「まほろ駅前番外地」。昨夜の第2話を初視聴したのですが・・・「あれれ」。タイトルバックの撮影にリバース処理を加えていて楽しめるのですが、なにか違和感が・・・「町田じゃない!」のです。原作には町田と明らかに判断できる固有名詞(数は少ないが)がちりばめられてます。町田にはアーケード商店街などないし・・・すぐに撮影場所はわかりました。神奈川県の相模原市相模原6丁目(町田から北西方向・約5KMのローカルな商店街)の西門アーケード商店街で「田舎の明るくて健康的」な作品のイメージにピッタリ・・便利軒ここに引越ししたのかな。「協力・相模原6丁目商店街」とクレジットに出てた?。もう撮影終了してるようですが「町田」のシーンが少ないし次回から観たくなくなります。映画版は町田の繁華街を中心にして猥雑な場所などでもロケしていて「町田」を楽しめたのです。町田・北口には三浦しをん氏が働いていた大きな古書店があり、画面の一部にちょっとでも写ったりしたら(ご本人の歩行者でのエキストラ出演付き)ファンは大喜び。お宝化するのに。
machida mahoro01.jpg machida mahoro02.jpg
(左写真)映画版「まほろ駅前多田便利軒」で多田便利軒だった建物 (右写真)町田駅南口から神奈川県側に入ってすぐのラブホ街・・この十字路で娼婦役の女優さんらがロケ 現在は壊滅したが元売春街だった通称「たんぼ」は画面の右側の路地一帯
  *「多田便利軒の事務所」は映画と同じ八百屋の建物をTV版でも使用
 machida mahoro03.JPG   machida mahoro04.jpg
仲見世商店街に貼られていたテレビシリーズのポスター 地図は映画版の町田のロケ地=上の写真2枚の位置

以下はテレビシリーズのタイトルバックの撮影場所です。
下写真中央の「赤い手」が故・岡本太郎氏の屋外オブジェ・・道路の左には対になる「青い手」(画面外)・・・西門通り沿いなのですがこの「赤い手」の後ろのビルの裏側がアーケード商店街・・・地図にマーカーで着色した道でリバース処理の映像が撮影されました。行くのが面倒なので「岡本太郎」さん用で撮ってあった写真で代用。
sagami mahoro05.JPG  sagami mahoro06.jpg
スタート地点からリバースしながら地図の上の方に歩いてます。終点の公園のところまで「コ」に字形です。JR横浜線相模原駅から1KMくらい。

 *このドラマのオープニングテーマ「ビューティフルドリーマー」(フラワーカンパニーズ)のPVの撮影も同所(ほぼ同じコース)で行われていますが、はしょりすぎて(コマ落とし)いてゆったり感と同時にリズムをも崩している・・・ドラマのほうが良いです。
posted by y.s at 10:15| Comment(0) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月08日

府中 遠藤周作の墓 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」より

<<場所は京都の法然院であった。本堂の方へ行く庭の真中で、ふっと立ち止った遠藤さんが、
「寂聴さん、死ぬの怖くない?」と訊いてきた。
ひどく生真面目な表情の遠藤さんが首をのばし、遠く空の方を見上げている。
「なぜだか、あんまり怖くないのよ。たくさん好きな人が向うへ行ってしまったからかな」
「ふうん、ぽくはとても怖い。死ぬのは厭だ」
「だって遠藤さんは熱心なカソリックの信者なのに?」
「うん、それでも怖い! 死ぬのは厭だ」
その日も遠藤さんは、自分の信仰は母上から無理矢理着せられたお仕着せだから、未だに身
につかないと、ため息まじりに言った。
あの元気だった遠藤さんが、重い病気になっていると聞いて以来、私は動揺して、お見舞に
行くのもためらわれた。
順子夫人(*旧姓岡田)がそれこそ至れり尽せりの介護をしていらっしやることは伝っているので、
その点は何も心配することはない。それでも、どんなに辛いだろうと思うとたまらなかった。
そんな時、遠藤さんが私と対談してもいいと言っているという話が舞いこんだ。
私はすぐ上京して、指定された場所へ行った。専らの噂では、遠藤さんは、自分の家で透析しているほど
重病で、すっかり衰弱しているという。伝えてくれる編集者たちの誰の目も言外に回復の見込
みはなさそうだと語っている。
先に着いて待っている場所へ遠藤さんが、頑丈な体つきの編集者に抱きかかえられてきた。
私はその様子と顔を見て、ショックで体が震えるのを必死で人に気づかれまいと身構えた。こ
れがあの陽気でホラ吹きの遠藤さんだろうか。すっかり面変わりしていて、あのスマートな体
つきが、痩せて今にも折れそうに頼りなくなっている。笑いかけようとしてくれる顔が歪んで
泣き顔になった。
やっと座に坐ってからは、対談というより、遠藤さんの一人語りを、私が聴くとぃう型になった。
「吉行(*淳之介)が死んでしまったのが一番こたえた。まさか、あいつがあんなに早く死んでしまうなんて・・・・淋しいなあ、みんな逝ってしまって」
私は少しでも気を引き立ててもらおうと、最後の作品となるであろう『深い河』の話をした。
(略)
それが、遠藤さんと逢った最後になった。
病苦は想像の外のものだったらしい。ある日、病床で遠藤さんが順子さんに向って、
「自分は神さまを本当に熱心に信じて、あんまり悪い行いもしないで、一生懸命小説を書いて
きただけなのに、どうして神さまはこんなに辛い病苦をお与えになるのだろう」
と弱音を吐いたことがあるという。その時、順子さんが、
「神さまは、ヨブをあなたに書かせるために、ヨブの苦しみの一部を味わわせなすったのよ」
と励ましたら、いきいきした顔になり、
「そうだ! ヨブを書く仕事が残っている」
と声に出したという話を、亡くなった後で、私は順子さんに伺った。>>
   「奇縁まんだら」瀬戸内寂聴 2008年日経新聞出版社刊より抜粋
   (* )は原文には無し
Paulos S E 01.jpg
1996年(平成8年)9月29日午後6時36分、腎臓病治療で入院中の慶應義塾大学病院(信濃町)で死去。
73歳。死因は肺炎による呼吸不全であった。
同年10月2日、四谷の聖イグナチオ教会で葬儀ミサ・告別式。棺には遺志に基き「沈黙」「深い河」の二冊が入れられた。
遺骨はカトリック府中墓地にある遠藤家の墓に埋葬。墓誌に記されている洗礼名パウロは、兵庫県西宮市の夙川教会聖テレジア大聖堂で受けたもの。
Paulos S E 02.JPG
カトリック府中墓地の主通路にある十字架。遠藤周作氏は、この十字架の傍ら近くに眠っている。

参考 「遠藤周作文学全集15」新潮社2000年刊
遠藤周作リンク
長崎・平戸周辺 遠藤周作「沈黙」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/447360739.html
posted by y.s at 23:54| 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

西八王子 萌え寺 了法寺

西八王子の甲州街道に山門(というより入口)を構える話題の日蓮宗の松栄山了法寺です。
寺名の漢字を見た目で読んだ別名が外部ではもちろんのこと当事者まで
「アほう寺」と自称する始末に。
アキバ周辺にある寺ならメイドに関連した話題が出てきても納得できますが
ここは江戸時代からの歴史ある千人同心の屋敷がつらなっていた宿場町の西はずれ。
寺の案内板は萌え系アニメキャラで描かれ、境内はおろか本堂までアキバ化が進行中。
しかしまだアキバで行き倒れたメイドのお墓はなく、投げ込み寺化してはいません。
将来、身寄りのない亡くなったメイドを引き取り供養する可能性は否定できないかも。
最近は秋の「八王子いちょう祭り」期間のみ境内で「メイドカフェ」を開設し、公募で
選抜されたメイドさんの有難い接待を受けれます。
場所は甲州街道と陣馬街道が分岐する追分交差点の近くで西八王子駅より。

 イベント開催情報は寺のHPで http://katy.jp/ryohoji/
hachiouji ryouhou01.jpg hachiouji ryouhou02.jpg
   豪放なイメージがある日蓮宗 読経も力強い宗派だなと感じていましたが・・・・・
hachiouji ryouhou03.jpg hachiouji ryouhou04.jpg
  ここまで有名になるともう戻れませんよね テーマソング「寺ズッキュン!愛の了法寺!」だってリリース
続きの写真を見る Article of the continuance
posted by y.s at 23:54| Comment(0) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月31日

八王子 熊沢書店 谷内六郎壁画

JR八王子駅北口のロータリーにある大型書店「熊沢書店」の店舗をかざる
谷内六郎の週刊新潮の表紙「水面のライト」の壁画です。
各所にある谷内六郎の壁画のなかで最大だと思います。細長いビルにあわせて
縦長のためかなり離れないと全体がつかめません。
戸外の書店などの壁を飾る谷内六郎の作品を、写真で集めようとしてますが
浄水場の建物内部にあって通常公開してないものもあり苦戦中です。

また谷内家は、横須賀でのトラブルなどで神経質になっており、できるだけ
プライバシーには注意したいと思います。鎌倉のお墓もやっと訪ねることが
でき、手を合わせることができましたが、霊園事務所でも固く位置の説明は
できないとの返答でした。
rokuro kumasawab01.jpg rokuro kumasawab02.jpg

    rokuro kumasawab03.jpg   rokuro kumasawab04.jpg

続きの写真を見る Article of the continuance
posted by y.s at 15:34| Comment(0) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

町田 米軍機F-8U墜落事故

1964年(昭和39年)4月5日(日曜)午後4時30分頃、米海軍艦上戦闘機F-8Uが、東京都町田市
原町田2-1274(旧表示)に墜落した悲惨な事故です。 
沖縄・米軍嘉手納飛行場から2機編隊で米海軍厚木基地に向う途中、1機が高度3千mで操縦不能に
なり、きりもみ状態で落下、原町田の商店街に急角度で突っ込み、民家・商店など7軒が全壊。
死者4名・重軽傷27名の人的被害をだしたが、同機のパイロット(単座で大尉1名)はパラシュート
でいち早く脱出(高度2千7百mで)、現場から東方約2kmの高ヶ坂に降り、直ちに厚木基地の病院に
収容された。指導要項に従った脱出と米軍は発表したが、同時に民家を避けてからの脱出という前提
は実行され無かった。
墜落現場にはすりばち状に直径10数mの大穴があき、周囲は吹き飛ばされた家屋の残骸で埋まった。
翌日6日の早朝から、東京地検・警視庁捜査一課の現場検証が始まり、復旧支援で陸上自衛隊第一師団
の約100人が投入されたが、機体のエンジンはついに発見されないまま、大穴はそのまま埋めもどされた。6日夜にすぐ近くの勝楽寺で死亡4名の合同慰霊祭が行われ、米軍からは厚木基地司令官、岩国の海兵隊基地司令官が参列した。勝楽寺自体が現場から150mで爆風を受けていたと思われる。
  参考 朝日新聞1964年4月6日朝刊・夕刊

matida f8u01.jpg matida f8u02.jpg
        画像に白抜きで記入した名称の建物が全壊
matida f8u03.jpg matida f8u04.jpg
        墜落地点は現在広い駐車場になってます 慰霊碑などは無し
続きの写真を見る Article of the continuance
posted by y.s at 21:07| Comment(4) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする