2015年04月27日

小向美奈子被告 東京地裁 覚せい剤取締法違反で実刑判決

2015年4月27日(月曜)午前10時、東京地裁刑事第4部にて事件名・覚せい剤取締法違反(所持・使用)に問われた小向美奈子被告(29歳)に対する判決公判(鈴木巧裁判官)が開かれる。事件番号:平成27年特(わ)第319号等
判決公判の傍聴は、開廷30分前の9時30分から第1回公判(4月16日)と同じく地裁正面指定場所1番交付所で抽選となった。この事件は第1回公判で結審し、検察側は懲役2年を求刑(通常は執行猶予付き判決が出る)したが、「常習性が顕著」として「矯正施設への収容が必要」と補述していた。
午前10時の開廷後、直ちに判決が言い渡され、鈴木巧裁判官は再犯に同情する余地はないと検察側の要求通り実刑判決(懲役1年6月)を下した。
     2015 4 27 01.JPG
2015年2月4日、東京都渋谷区恵比寿の自宅(当時)で覚醒剤を気化吸引したとして逮捕された事件現場。上写真は逮捕連行された自宅マンション玄関(ぼかし写真使用)。
2015 4 27 02.JPG 2015 4 27 03.jpg
(左写真)2015年2月6日早朝、内偵中の小向美奈子容疑者が帰宅するのを待ち、小向と共に自宅マンションに踏込んだ関東信越厚生局麻薬取締部(千代田区九段)は、室内で覚醒剤約0・1グラム(正式には約0・05グラム)と吸引器具を発見したため午前7時頃に所持容疑で現行犯逮捕。マンション前(白の路上駐車枠)に停めてあった麻薬取締部の車両に酩酊状態の小向は捜査官に脇を固められながら押し込められた。小向の覚せい剤取締法違反関連での逮捕は3回目となる。 (右写真)逮捕前夜の小向の様子をレポートした「アサヒ芸能4月2日号」の新聞広告(2015年3月24日発売)。
posted by y.s at 09:58| Comment(0) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月13日

渋谷 金原ひとみ「蛇にピアス」

金原(かねはら)ひとみ(1983年生)のデビュー作「蛇にピアス」。
「すばる」誌2003年11月号に掲載され、第27回すばる文学賞を受賞。翌2004年1月15日、第130回芥川賞を同作で受賞した。また、同名タイトルで映画化(2008年9月20日全国公開)されている。主演の吉高由里子(ルイ役)は、この作品によって女優としての地位を一挙に確かなものとしている。

「蛇にピアス」集英社文庫版2006年刊より抜粋。
<<スプリットタンていうのは主にマッドな奴らがやる、彼等の言葉で言えば身体改造。
舌にピアスをして、その穴をどんどん拡張していって、残った先端部分をデンタルフロスや釣り糸などで縛り、最後にそこをメスやカミソリで切り離し、スプリットタンを完成させる。と、彼は手順を教えてくれた。ほとんどの人はこのやり方で改造するらしいけど、中にはピアスなしでいきなりメスをいれる人もいるという。大丈夫なの? 舌噛み切ると死ぬんでしょ? つていう質問に、蛇男は淡々と答えた。焼きゴテを当てて止血するんだよ。手っ取り早いけど、さすがに俺はピアス使ったね。
(略)
そして数日後、私はその蛇男ことアマと二人でパンクなDesireに来ていた。その
店は繁華街の外れの地下にあって、入るなり目に飛び込んできたのはもろに女性器がアッ
プの写真。ビラビラの部分にピアスが刺さっていた。他にも、タマにピアスが刺さってい
る写真や、刺青の写真。そんなのが壁に貼ってあった。中に進むと普通のボディピアスや
アクセサリーもあったけど、ムチやぺニスケースまで並べてある。私から言わせてもらえ
ば変態向けの店だった。アマが声を掛けるとカウンターの中から頭がひょこっと現れた。
その頭はスキンヘッドで、つるつるの後頭部に丸くなっている龍が彫ってあった。>>
hebip001.jpg
<<鏡の前で舌を出して、先端から二センチほどの中心を指さすと、シバさんは慣れた手つ
きで私の舌をコットンで拭き、指さした部分に黒い印を付けた。
「テーブルに顎載せて」私は舌を出したまま言われるままに体を低くした。舌の下にタオルが敷かれ、シバさんがピアッサーにピアスをセットした。私は思わずシバさんの腕をパシバシこづき、首を振った。
「ん? 何?」
「それ12Gじゃないの? いきなりそんなん入れるの?」
「ああ、12だよ。だって舌に16とか18とか入れてる奴いないっしょ。大丈夫だよ」
「14にして。お願い」
 私は必死になって、反対するアマとシバさんを説得した。耳のファーストピアスだって、
いつも14か16だった。シバさんは14のピアスをセットし、もう一度「ここね?」と確認した。
私は軽く頷(うなず)き、拳に力を込めた。すでに手は汗ばんでいて、ぬるぬるした感触が気持
ち悪かった。シバさんはピアッサーを縦にして先端をタオルに押しつけた。そろりと舌をはさみ、
舌の裏に冷たい金属が当たった。
(略)
「みして」
シバさんは私の顔を自分の方に向かせて自分の舌を出してみせた。私は少し涙目になりながら
感覚のない舌を突きだした。
「うーん、オッケーだね。真っ直ぐ入ってるし、位置もばっちり」
「ほんとだ。ルイ、良かったじゃん」
アマが割り込んで来て、私の舌をジロジロ見た。私は舌がじんじんしていて喋るのも億劫だった。
「ルイちゃん、だっけ? 痛いの強いんだね。女の方が耐えられるんだってね、こういうの、
舌とか性器とか、粘膜に開けると失神する人とかいるんだよ」>>
hebip002.jpg

<<「イッていい?」アマの苦しそうな声がだらしなく宙を舞う。私はうっすら目を開けて、小さく頷(うなず)いた。アマは引き抜くと、私の陰部に放出した。まただ・・・。
「ちょっと、お腹に出してって言ってるじゃない」
「ごめん、ちょっとタイミングが・・・」
アマは申し訳なさそうに言ってティッシュを引き寄せた。アマはいつも私の性器に射精する。
何が嫌って、毛がバリバリになる事。そのまま余韻に浸って寝てしまいたいのに、アマのせいでいつもシャワーを浴びる事になる。
「お腹に出せないんだったらゴム使ってよ」
アマは俯(うつむ)いてもう一度ごめん、と言った。私はティッシュで軽く拭き取ると立ち上がった。
「シャワー、浴びるの?」アマの声があまりに寂しそうで思わず足が止まった。
「浴びる」
「俺も一緒に入っていい?」
思わずいいよ、と言いかけたけど、全裸のまま情けない顔をしているアマを見てバカらしくなった。
「狭い風呂に二人で入るなんて嫌よ」
私はバスタオルを取ると風呂場に入り、鍵を閉めた。洗面台の鏡に向かって舌を出して
みた。舌の先には銀の玉が付いている。これが、スプリットタンへの第一歩だ。一ケ月位
は拡張しないように、とシバさんは言っていた。道は、まだまだ遠い。>>
hebip003.jpg
<<「濡れてんの?」
小さく首を縦に振ると、シバさんはまた私を抱き上げ寝台に座らせた。私は無意識に脚を開いていた。
軽い緊張が私を包む。Sの人の相手をする時、いつもこの瞬間私は身を硬くする。何をするか、分からないからだ。浣腸だったらいい、おもちゃもいいし、スパンキングも、アナルもいい。でも、出来るだけ血は見たくない。昔、膣にファイブミニの瓶を入れられ、危うくトンカチで割られそうになった事があった。あと、針とか刺す人も苦手。手首から手の平がじっとりしていて、肩から二の腕にかけては鳥肌が立っていた。シバさんは、物を使う気はないらしく、私はホッとした。シバさんは指を二本入れ、何度かピストンさせるとすぐに引き抜き、汚い物を触ったように私の太股に濡れた指をなすりつけた。シバさんの表情を見て、また濡れていくのが分かった。
「入れて」
そう言うとシバさんは太股でぬぐった指を私の口に押し込み、ロの中をまさぐった。
「まずいか?」
シバさんの言葉に頷くとロから指を引き抜き、そのままマンコに入れ、また口の中に戻し、口の中をまさぐつた。チンピラのロの中を探るアマの姿がフラッシュバックした。
「お願い、早く入れて」
うっせーな、シバさんはそう吐き捨てて私の髪をつかみ、枕に押しつけた。シバさんは私の腰を高く上げるとマンコに唾を吐き、また指で中をグチャツとかき混ぜるとやっとチンコを入れた。
初めからガンガン奥まで突かれ、私の喘ぎ声は泣き声のように響いた。気づくと本当に涙が流れていた。私は気持ちいいとすぐに涙が出る。満たされていくのが分かった。シバさんは突きながら私の手首を縛っていたベルトを外し、私の手が自由になると勢い良くチンコを抜いた。抜かれた瞬間、また一筋涙がこぼれた。
(略)
「何て呼べばいいの?」
「キヅキでいいよ」
こういう、普通のカップルならあるはずの会話が、アマと私にはなかった。だから、思い残す事がたくさんあるのかもしれない。もっと、普通の会話をすれば良かった。家族の話とか、過去の話とか、名前とか、歳とか。そう、葬式の時初めて知った。アマは十八歳だったって事。
私は、生まれて初めて年下の男と付き合っていた事を、彼が死んでから知った。私は十九歳で、アマの一個年上だった。そんな事、出会ったその日に話すべきだったのだ。
(略)
ピアスを見ていたら、アマの事が頭に浮かんだ。あれからというもの、舌の痛みもおさまってきたというのに、私は舌ピを拡張する気になれない。褒めてくれる人もいない今、私の舌ピは意味を持たないのだろうか。もしかしたら、私はアマが言っていたように、アマと同じ気持ちを共有したくてスプリットタンを目指していたのかもしれない。後一つ拡張すれば、アマがメスを入れた00Gになる。00Gにしたら切ろうと思っていたっていうのに、後一歩のところで私の抑えきれない程の熱意はなくなってしまった。
アマも熱意もなくなってしまった今、この舌ピに一体何の意味があるんだろう。
私はまたカウンターに戻ってパイプ椅子に座るとボンヤリ宙を見つめた。何もする気がない。
何かをする事にも、それで何かが動くという事にも、今の私は関心がない。
「ルイ、お前の名前、聞いてもいいか?」
「聞きたいの?」
「聞きたいから聞いてるんだろ」
「私のルイはルイ・ヴィトンの・・・」
「本名を聞いてるの」
「・・・中沢ルイ」>>

*映画「蛇にピアス」予告編YouTube http://www.youtube.com/watch?v=Qa4K02yQp8w
posted by y.s at 23:41| Comment(0) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

渋谷 富ヶ谷 フレッシュネスバーガー1号店

1992年(平成4年)12月14日、この地でハンバーガーチェーン「フレッシュネスバーガー」が誕生しました。アメリカの西部開拓時代の内外装を意識したかわいい平屋建ての店舗・・以降、国内各地にチェーン展開して行く基本コンセプトがこの1号店に凝縮されています。
この1号店へのアクセス方法の紹介が難しく、徒歩10分を苦にしない方になら最寄り駅を挙げれます。小田急線・東北沢駅か井の頭線・駒場東大前駅。交通手段は別にはバス利用・・近くにバス停有り。小田急線・代々木上原駅からは急坂があるのでパス。

 フレッシュネスバーガー富ヶ谷店 http://www.freshnessburger.co.jp/
  地図http://shop.freshnessburger.co.jp/fb/Spot.act?dnvSpt=S0130.0000000001
 東京都渋谷区富ヶ谷2-23 
 営業時間 10:00〜23:00 (日・祝日10:00〜21:00)
tomigaya fb01.jpg tomigaya fb02.jpg
(左写真)隣りは元ガソリンスタンド・・更地工事中でコンビ二・セブンイレブンに建て替え 2008年12月撮影
tomigaya fb03.jpg tomigaya fb04.jpg
オーダー後に調理に取り掛かるので「新鮮な」バーガーが食べれます 右写真は店内から見たエントランス
tomigaya fb05.jpg tomigaya fb06.jpg
テーブルにはマスタード・ケチャップ・タバスコなどが置かれていて自由に使用可能 必需品のペーパーナプキンがどっさり置かれてます・・好感度アップ
tomigaya fb07.jpg tomigaya fb08.jpg
(左写真)べジバーガー豆腐入り420円(2009年7月の単価) (右写真)テリヤキバーガー320円
posted by y.s at 23:39| Comment(0) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月14日

渋谷 shibuya109 cylinder-advertisement

1979年(昭和54年)4月28日(土曜)午前10時に渋谷・道玄坂下の三叉路にオープンしたファッションビル「Shibuya109」。今年(2013年)4月末で開業34年目に入ろうとしてます。
タイトルの「cylinder-advertisement」は「シリンダー(筒)広告」の意味です。
*109ビルは別項目で作成。ここではシリンダーの広告画像のみのコレクション(2005年頃より)です。百数十枚になりますので興味ある方のみの限定です。ビルオープン当時に17歳だった女子高生は・・・50歳に。
shibu109 cylinder-ad197901.jpg   shibu109 cylinder-ad197902.jpg
Shibuya109の開業前日1979年4月27日の新聞広告 右はオープン当日の朝刊広告

      shibu109 cylinder-ad197903.jpg
   AKB48柏木由紀 AKB日替りシリーズの深夜貼替え作業2011年6月24日(金曜)

shibu109 cylinder-ad04.JPG  shibu109 cylinder-ad05.JPG
      2013年3月
shibu109 cylinder-ad06.JPG   shibu109 cylinder-ad07.JPG
      2012年12月                       2012年10月
shibu109 cylinder-ad08.JPG  shibu109 cylinder-ad09.JPG
      左右とも2012年9月 
続きの写真を全て見る
posted by y.s at 22:36| Comment(0) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月10日

渋谷 東京陸軍軍法会議臨時法廷・陸軍刑務所(衛戍監獄)(2・26事件)

2・26事件の裁判(軍法会議)は計3ヶ所で行われました。名称が似ていて混乱しますが、決起将校・下士官・兵らの拘留・審議・判決が行われたのが渋谷の「東京陸軍軍法会議(臨時仮設法廷)」。相沢中佐と真崎大将の審議・判決は青山1丁目の第1師団司令部内の常設軍法会議(相沢中佐の拘留は渋谷の陸軍刑務所)。北一輝・西田税の審議・判決は第1師団歩兵第3聯隊内の臨時軍法会議(東京陸軍軍法会議が昭和12年1月に廃止撤去された為)。
東京軍法会議での公判開始は、決起を主導した青年将校らが事件から2ヶ月経った昭和11年4月28日から。やや遅れて下士官・兵・湯河原班らの公判が同年5月5日から開始。判決は一斉に同年7月5日に言い渡されました。決起将校ら17名に死刑判決(5日後の7月12日執行・・磯部・村中は翌年8月19日に執行)。北一輝と西田税らの常人(一般人)組4名は遅れて昭和12年8月14日に判決(北と西田が死刑判決・8月19日に執行)。

隊列を組み、雪を踏みしめて「昭和維新」を目指し「尊皇討奸」を合言葉に突き進んでいった2月26日から4日間の叛乱の結末は、19名の銃殺刑(自決2名)で幕を閉じました。信じていたものが幻想であったと理解した後の虚しさのなかで、拳銃の銃口を自らに向けた野中大尉・安藤大尉・・その戦術に雅拙さが目立つとしても彼らの真摯さと激情は時を越えて心に震えをもたらします。
shibuyaeiju01.JPG  shibuyaeiju02.JPG
(左写真)渋谷の東京陸軍刑務所(衛戍監獄)内の北側位置にあった処刑場の位置近くに建つ「2・26慰霊像」(右写真)永平寺71世管長の筆になる「慰霊」
麻布十番の賢宗寺に祀られる22柱のみならず重臣4柱・殉職警官5柱・諌死3柱(竹嶌中尉の親友で自決した青島中尉ら)の計34柱の慰霊の為に昭和40年2月26日に仏心会(遺族会)によって建立
shibuyaeiju03.jpg shibuyaeiju04.JPG

shibuyaeiju05.jpg shibuyaeiju06.jpg
(左右写真)処刑場跡に当たる場所(渋谷地方合同庁舎)=地図記入の位置参照 処刑場は約180cm巾で濠状に掘られており斜面奥に十字架が設置・・前方には銃座(台)が固定・・十字架が5〜6列ほど横に連なって並んでいる *モノクロ映画「叛乱」(監督・佐分利信)だったと思うのですが処刑場(銃殺)シーンが強く印象に残っており俯瞰位置からの画面に広がる土(コンクリートでない)のイメージが特に忘れられないでいる(かなり以前に観たので作品名が違っているかも)
 shibuyaeiju07.jpg shibuyaeiju08.jpg
(右写真)慰霊像の横にある赤煉瓦壁・・これは衛戍監獄をぐるりと囲んでいた赤煉瓦の高壁の一部なのだろうか?
shibuyaeiju09.jpgshibuyaeiju10.jpg
現在は道路になっている西側の赤煉瓦の高壁(塀)の位置
shibuyaeiju11.jpg  shibuyaeiju12.jpg
(左写真)現在の渋谷区役所と右端の渋谷公会堂・・二つの建物の間が陸軍刑務所の正門位置 (右写真)裏門跡に残る路地=現在はレコード・CD店が集中している路地+階段
  shibuyaeiju13.JPG  shibuyaeiju14.JPG
東京陸軍刑務所敷地の南西端に残る陸軍用地の標石・・以前は右写真の黒丸の歩道端の位置にあったが5mほど移動した
 shibuyaeiju15.jpg  shibuyaeiju16.jpg
東京陸軍軍法会議の判決を知らせる昭和11年7月7日付けの東京朝日新聞(左右共に)
            shibuyaeiju17.jpg
     上段の東京朝日新聞から 死刑判決の決起将校の顔写真の拡大

2・26事件リンク
「麻布十番 賢崇寺 二十二士の墓(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/21795261.html
「赤坂 近衛歩兵第3聯隊跡(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/138528702.html
「湯河原 牧野伯爵宿舎(前・内大臣)伊東屋旅館別荘(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331635880.html
「中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331937769.html
「六本木 聯隊前 龍土軒(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331977707.html
「赤坂 高橋是清・蔵相私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332103469.html
「内幸町 飛行会館の大アドバルーン(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332155976.html
「荻窪 渡邊教育総監私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332434854.html
「九段 戒厳司令部(軍人会館)(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/341259410.html
「三番町  鈴木貫太郎侍従長官邸(2・26事件)」 http://zassha.seesaa.net/article/341750813.html
「駒場 歩1栗原中尉私宅と山下奉文少将私宅(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/342058218.html
「四谷 斎藤實内大臣邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/343167821.html
「青山 第1師団司令部・師団軍法会議と相沢中佐(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/343499701.html

posted by y.s at 09:34| Comment(2) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月23日

渋谷 円山町 阿部定の足跡 待合みつわ跡

昭和11年4月、阿部定(31歳・当時は変名使用=田中加代)は、新井薬師の割烹料理屋「吉田屋」(中野区新井538番地=現在の新井1丁目)に住み込み女中として働き始める。「吉田屋」の主人は、石田吉蔵(42歳・新井三業組合組合長)。4月中旬頃、「吉田屋」内の離れ座敷で、初めて定は吉蔵と関係をもつ。4月19日に吉蔵との情交現場を女中仲間に見られたことから、内儀(吉蔵の妻とく=当時43歳)の知るところとなってしまう。石田と定は関係を続けるために「吉田屋」を出て、各所の待合に泊り歩くようになる。定が「吉田屋」に女中奉公に入った理由は、定の援助者であった名古屋市にある中京商業の元校長大宮五郎が、定に小料理店を出させる為の準備として見習い修行に送り出したことによる。
「予審訊問調書」より
<<そうです。本年四月十九日の晩、私と石田が応接間の電気を消して、そこで関係しようとしている時、女中に見つけられてしまい、家人に知れたので、石田がゆっくり外で相談しようと云い、四月二十二日の朝、示し合せて家出し、渋谷丸(ママ)山町の待合「みつわ」に行きました。>>
4月22日の朝方、定は新宿駅で石田と会うことを示し合わせたて家出する。その後、渋谷円山町の待合「みつわ」(円山町85番地)に入る。交通手段は省電を使ったのか円タクに乗り込んだのかは分からない。
         maruyama itsuwa01.JPG
円山町の待合「みつわ」跡地(写真の右端 植木付近は84番地になる) 地図で5の位置の下側(奥)の赤文字85番のところ 
戦前の詳細地図「火災保険特殊図」渋谷地区の大部分が欠落しており、戦時下の空襲で地番85〜86番は焼失している。終戦直後の詳細地図でも待合「みつわ」の位置は確認できない。待合「みつわ」は米軍の焼夷弾攻撃で灰燼に帰しているはずだ。なお待合「みつわ」の住所は判決文に記載されている。*読者からの投稿により判明した内容を追加。「みつわ」跡は、戦後、旅館「千賀(センガ)」へと変わったが、昭和50年代になり取り壊されたという。
maruyama abe01.jpg maruyama abe02.jpg
(左写真)赤のコーンのある所が地図の赤数字5の位置で、かって妓楼・花隅柳の建物があった (右写真)その正面 
**花隅柳の裏(南側)が待合「みつわ」があった場所。地図の1と薬局の間の路地には戦前から存在する石段の道が残っている。そこを上がり、コの字に進むと待合「みつわ」跡に辿りつく。
maruyama abe03.jpg   maruyama abe04.jpg
(左写真)「くすり」の看板の位置が地図黒丸の吉田薬局(現・ドラッグヨシダ)に該当する。85番地との境界83番地の端の店だ。薬局の先が85番地となり、地図赤数字の1・2・3・4・5の位置となる。現風景とはまったく異なる木造の妓楼が建ち並らぶ艶っぽい軒並みであった。
阿部定は、この待合「みつわ」について予審訊問調書で多くを供述している。<<「実際、私が今までに接した数多くの男の中で、石田は一番情事が濃厚で上手でした。>> 定はこの待合に来るまでは、ほんの浮気をするくらいの気持ちでいた答えている。すぐに帰るつもりでいたようだが、吉蔵の「ここに来てまで旦那と呼ぶなよ」という言葉を聞いたあたりから定の気持ちに変化が現れ始める。この夜から流連(泊り歩く)するうちに、定には吉蔵がこの世におけるすべてとなってゆく。
参考
「阿部定手記」中公文庫1998年刊 
「阿部定正伝」情報センター出版局1998年刊
映画「愛のコリーダ」大島渚監督1976年10月公開
事件当時の新聞各紙

「上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡」http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
「兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地」http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html
「大津 阿部定の足跡 地蔵寺」http://zassha.seesaa.net/article/316571479.html
「浅草 阿部定の足跡 百万弗劇場」http://zassha.seesaa.net/article/319694968.html
「宇治 阿部定の足跡 菊屋旅館跡」http://zassha.seesaa.net/article/381905711.html
posted by y.s at 06:52| Comment(2) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月15日

渋谷 寺山修司住居侵入事件現場 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」より

現在、劇団「天井桟敷」を主宰する寺山修司が住居侵入容疑で拘留(2日間)された事件の現場一帯は、大規模再開発計画により更地となっており、かっての木造住宅などが密集した路地裏の様相を思い浮かべる術は失われている。
寺山のこの「事件」は、メディアが一斉に飛びつく半月ほど前(1980年7月13日)に、渋谷署に「八幡荘」への住居侵入容疑で2日間拘留されただけで略式起訴(罰金刑)を受け、すでに決着していた。その後寺山は映画ロケで中国(香港)に出国し、8月16日に帰国した頃には、国内では、すっかり「のぞき犯・寺山」が定着していた。記者会見での寺山の言い分を要約すると、天井桟敷の「市街劇」のロケハン中であった、というのだ。
だが、常習性があったという天井桟敷の内部情報もある。それを紹介している文章(瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」最終巻2011年刊)を引用してみる。
<<私は寺山さんと縁の深い友人たち、美輪さん、三島由紀夫さん、篠田正浩さん、萩原朔美さん、唐十郎さんたちとはみんな親しいのに、寺山さんとはこの世でたった二度しか逢っていない。寺山さんの句や歌や詩や文章は愛読していて、この人は恐るべき天才だと信じていた。だから晩年、のぞき現行犯でつかまり、でかでかニュースに出た時もびっくりしなかった。天才とはそんなへンなことをする妖怪だと思っていたからだ。天井桟敷で一番若い美少年だった萩原朔美さんが著書の「思い出のなかの寺山修司」で云っている。寺山さんはパリのホテルでも覗きで追い出されたことが何回もあると。>>
shibuya tera01.jpg shibuya tera02.jpg
(左写真)「八幡荘」があった位置は画面中央奥やや左寄り付近。(右写真)再開発で9階建てビルが着工される予定。
shibuya tera05.jpg shibuya tera03.jpg
(左写真)現場見取り図。現場近くに記入した「松原荘」は、かって寺山の住居だった木造アパート(現在は建て替えられてビルになっている=右写真)。かっての通り道で土地勘があり、ロケハンの対象になったようだ。「事件」当時の新聞に書かれた住所は、港区元麻布三丁目(天井桟敷館と同じ表示で港区元麻布3-12)であった。この天井桟敷館で若かりし頃の園子温氏(映画監督)のエピソードがあるが別項で。「恐るべき天才」寺山は、この「事件」のわずか3年後の1983年5月4日に満47歳で病没している。
posted by y.s at 02:52| Comment(0) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月20日

渋谷 タレント中島知子(と女霊媒師I)の事務所MS家賃滞納騒動

体調不良のため休養中のタレント中島知子が賃借している個人事務所用マンションの家賃滞納が半年間に及んでいることから、不動産管理会社が立ち退きを求めて東京地裁に提訴。2011年9月末で賃貸契約は終了しており、以降は不法占有状態。判決は今月2月28日に言い渡される予定。自宅用マンションには女霊媒師Iが同居していると報じられ、判決次第では強制立ち退きが執行される可能性もでてくる。(スポーツ紙各紙参照)
自宅用マンション(南側)と個人事務所用建物(北側)は玄関こそ少しずれているが一通の道路を挟みほぼ真向かい。両方の玄関をウオッチできるベストポジションに24時間数人の記者が張り付いている。寒中お見舞いです。
shibuya nakajima ms01.jpg shibuya nakajima ms02.jpg
 右の樹木側が事務所使用マンション 記者氏の姿も    坂上から自宅マンション 玄関は坂下側
退去・引越しとなればテレビのリポーターも大挙押し寄せ一騒動必至。
場所は報道でも伏せられているので渋谷区とだけです。
渋谷駅から車利用してXX方向へよく向かう方なら定番で通るむずかしい抜け道。

                 shibuya nakajima chisai03.jpg
         判決日の地裁玄関前 多数の取材陣でボカシ画像になるので地面です
中島知子(40才)の個人事務所が不当にマンションを使用しているとして、滞納分家賃と部屋の明け渡し求めて不動産管理会社など2社が東京地裁に提訴した件で、今年の2月14日に第1回口頭弁論が行われたが中島側は欠席、争わないこととみなされそのまま結審となり、2月28日に予定通り東京地裁・民事第10部で判決が言い渡された。原告の全面勝訴。中島側はまたも欠席。(堀田匡裁判官 平成23年(ワ)第38804号)
民事の小さい訴訟だが被告が有名タレントのため判決の傍聴は抽選になり、正門向かって右側の2番交付所は10倍以上の競争率になった。
報道取材関係者も40名近くが正門前歩道に集結。大事件の様相です。
(管理人は被告出廷がなさそうなので、別の覚醒剤所持使用の法廷傍聴と地下で遅い昼飯)

自宅として居座っているマンションも同様の事由でオーナーにより提訴済みなので4月中に判決となる予定です。
カメラの並ぶマンション前に先日、原告側ファミリーのロンゲ白髪の「ロックンロール」氏が期待通りに怒りの出現。再登場、再路上コメントも高確率でありそう。
それと女霊媒師の親族といわれる二人が居住マンションに荷物を運び込むうしろに密着してマンション内に突撃しようとした女は誰? 白のおそろいの霊媒師シューズまで用意したのに警備員に阻止され逃走!特攻志願した雑誌の記者?身元が深く追求されないようだし・・・

posted by y.s at 00:32| Comment(0) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月13日

恵比寿 あめりか橋

正式名称は恵比寿南橋、通称アメリカ橋。下にはJR山手線などの線路。
建造初期の赤錆びたプレートが橋の東詰、元ビール工場側に残されてます。
<AMERICAN BRIDGE COMPANY USA 1906>と刻まれてますが、1906年は明治39年で
前年の1905年の夏に日露戦争が講和し戦争終結してます。古い歴史ある橋です。
この橋を渡った右に元はビール工場の広いゲートがあり、その横には工場の大きな倉庫を
改造した黒っぽいイベント用の建物がありました。ファッションショー用によく貸し出されて
いたのをおぼえてます。道路をはさんだ向い側には写真美術館がありましたが、ガーデンプレイスの
再開発工事が始まりすべて取り払われて更地になりました。
アメリカ橋の上に立つと、脳裏にやきついた消え去った風景が目の前に広がり、立ち止まっている
自分がいます。
ebisu american b01.jpg ebisu american b02.jpg

ebisu american b03.jpg ebisu american b04.jpg

続きの写真を見る Article of the continuance
posted by y.s at 05:36| Comment(0) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月01日

恵比寿 ゼスト恵比寿店(閉店)

ゼスト・キャンティーナ恵比寿店は2012年5月31日にて閉店。解体決定。

グローバルダイニング社経営(モンスーンカフェ・権八チェーンなど)のゼスト恵比寿店。
1998年5月オープン。400席近い大箱で米南西部〜メキシコにかけてのキャンティーナ(酒場)をコンセプトにした早朝まで営業のレストラン。
ここでの思い出はほとんど無い・・2009年12月頃、ランチしようと店前までいったがノロウィルス発生事故で臨時休業中(営業停止)だったことぐらい。
深夜帯には時々ゼストによってはいたが、大抵はJR恵比寿駅に近い「びっくり寿司」に。TBSドラマ「青い鳥」(主題歌globeケイコの「Wanderin' Destiny」も好きだった)のヒロイン夏川結衣さんを、この深夜まで営業してる寿司屋で見かけてからは、もしかしたら又会えるかもとこの寿司屋ばかりに。映画「夜がまた来る」でのインパクトがまだ尾を引いていて、「青い鳥」も全話欠かさずにみるほど彼女のファンだったのです・・ジーと視線は結衣さんにクギ付け・・・すぐ近くだったので仕事の打ち合わせ内容(NHKかな)も。

ゼストチェーンは銀座、三宿、西麻布交差点近くなどでも営業してます。六本木・飯倉片町店も2012年1月に閉店。この飯倉片町店では女性ロックバンドSHOW-YAの寺田恵子さんらに偶然出会えた思い出が・・・。
グローバルダイニング http://www.global-dining.com/

01 ebisu zest.JPG 02 ebisu zest.JPG
   2005年11月撮影
03 ebisu zest.JPG 04 ebisu zest.jpg
   クリスマスツリーの準備中
05 ebisu zest.jpg    06 ebisu zest.jpg

続きの写真を全て見る
posted by y.s at 20:43| Comment(0) | 渋谷・恵比寿・代官山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする