2013年12月01日

麻布竜土町 明智探偵事務所をさがして 江戸川乱歩「人間豹」より

江戸川乱歩は、1933年(昭和8年)の春に、東京市戸塚町の下宿屋「緑館」(昭和6年11月まで営業)を引き払い、家族とともに、芝区車町8番地(都営浅草線泉岳寺駅・田町寄りの出入口すぐ)の借家に移転した。庭付き木造二階建ての大きな家だが、移転の決め手となったのは、一階の廊下とつながっている土蔵造りの洋間があったためだったという。乱歩はその土蔵を書斎として使用する。その翌年(昭和9年)の5月から、その土蔵で執筆した猟奇的長編探偵小説「人間豹」が、雑誌「講談倶楽部」(講談社)に連載(昭和10年5月に完結)される。乱歩の別次元の世界に迷い込んだような異常な発想を生み出した要因は、「京浜国道と東海道鉄道線に近く、二階の私の部屋は終日終夜、轟々と鳴り響いて安眠出来ず、神経衰弱となった」にあるのではないだろうか。乱歩は、お気に入りの土蔵の書斎があるにもかかわらず、わずか1年で再移転してしまう。

人間とも獣ともつかない男が、美しい容貌の若い女を次々と食いちぎり、(明智小五郎の新妻の)文代さんまで裸にして熊のぬいぐるみに押し込めて、獣の前に・・・。神谷青年は、人間だか野獣だかわからぬ怪物に目の前で恋人弘子を殺されている。呪うべき日から1年あまりが過ぎ去った頃、神谷には新しい恋人ができ、脳裏からは野獣の記憶が一日一日と薄らいでいる。その恋人はレビュー団の女王と讃えられる歌姫で<<十九の春のふっくらと成熟した肉体>>の持ち主。かっての恋人弘子と瓜二つの江川蘭子という美しい娘なのだ。だが、またしても、あのケダモノがあらわれる。
「キャア・・・・助けてぇ・・・・」死にもの狂いの悲鳴をあげる蘭子。野獣らしい黒い裸身が、四つん這いになって、ノソリノソリと蘭子にせまる。人間豹は、ギラギラ光る青い眼で、さも楽しそうに餌食を睨んでいる・・・。
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 美しい(?)瓜二つ(?)の弘子と蘭子・・黒の革紐で拘束状態だ・・蘭子は首輪なのだ

神谷は数日前から考えていたことを実行に移さざるをえなくなる。警察力が頼みに足らず、ほかに手段はない。私立探偵といえば、たちまち思い浮かぶのが、あの明智小五郎。神谷は運転手に行き先を告げる。「麻布、竜土町へ」。
<<明智小五郎は「吸血鬼」の事件の後、開花アパートの独身住いを引き払って、麻布区竜土町に、もと彼の女助手であった文代さんという美しい人と、新婚の家庭を構えていた。(略)低い御影石の門柱に「明智探偵事務所」と、ごく小さな真鍮の看板がかかっている。そこをはいって、ナツメの植え込みに縁とられた敷石道を一と曲がりすると、小じんまりした白い西洋館、玄関の呼鈴を押せば、直ぐさまドアがあいて、林檎のような頬っぺたをした詰襟服の愛くるしい少年が顔を出した。これも「吸血鬼」事件でおとなも及ばぬ働きをした少年助手小林である。>>江戸川乱歩「人間豹」創元推理文庫版のP152から抜粋
・・・麻布竜土町の御影石の門柱がある小じんまりした白い洋館。門の外は淋しいといっても、時々はタクシーの通る往来(P175)。見覚えのある場所だ。探しに行かなくては。竜土町はそれほど広くはない、すぐに見つかる。
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(左写真)かって右側中央付近に瀟洒な洋館が建っていた (右写真)その洋館があった路地よりやや南よりに、現在も残る古い煉瓦塀が・・・
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「人間豹」のその後の展開は・・・神谷青年が明智探偵を訪ねたばかりに、蘭子は花に埋もれたむごたらしい裸体の死骸となって神谷の前に・・・さらに人間豹は、明智小五郎の新妻・文代にも牙を剥き襲い掛かる。文代さんは真っ裸にされて・・・・後のおぞましいストーリーは、初出の「講談倶楽部」誌に掲載された挿絵を転載した創元推理文庫版をお薦めするのだ。
参考
「人間豹」江戸川乱歩 創元推理文庫
「江戸川乱歩 貼雑(はりまぜ)年譜」講談社1989年刊
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2013年11月26日

飯倉片町 梶井基次郎の「ある崖上の感情」

20数篇の珠玉の短編作品を残し、肺結核により31歳で逝ってしまった梶井基次郎が、東京帝国大学文学部英文科の学生時代に下宿した場所のひとつが、飯倉片町。
1924年(大正13年)3月に、三高(京都)を5年がかりで卒業した梶井は、親友の中谷孝雄・外村茂(後に繁)と共に上京し、大学のある本郷で最初の下宿(本郷3丁目の蓋平館支店)に入居した。その年の12月には、中目黒の下宿に移転。翌年(大正14年)1月に、梶井の生涯の代表作となる「檸檬」(れもん)を、中谷・外村らとともに創った同人誌「青空」(創刊号)に発表する。創作活動に行き詰り、神経衰弱が昂じる中、5月31日に移転した下宿が、この飯倉片町の堀口方であった。
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(左写真)手前の広い通りは外苑東通り 右方向が六本木 ビルの間に見える路地が急激に南に下る「イタチ坂」 坂下すぐ右側には島崎藤村が18年間(47〜65歳)暮らした借家の跡がある (右写真)坂下から見た「イタチ坂」 左の1階部分が白く塗られたビルの場所が島崎藤村旧居跡(長編小説「夜明け前」をここで執筆した)
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(左写真)イタチ坂を下りると左右に道は分岐する(江戸時代から存在する細道) 左にさらに下る細い坂が「鼡(ねずみ)坂」(池波正太郎の時代小説に登場する) 右に再び上る坂が「植木坂」 (右写真)「植木坂」を少し上った右手に梶井が下宿した堀口繁蔵方跡がある 写真右側の建物が堀口方跡
梶井が下宿した堀口繁蔵方は、茶庭師の父親庄之助が引退し、目黒に隠居したため二階部分が空部屋になった。それを下宿として業(なりわい)にしたものであった。梶井が借りた部屋は、写真とは反対側の二階北側の4畳半であった。
1924年(大正14年)、移転の半月後の6月16日に「泥濘」完成。8月上旬から東大の夏休みを利用し、外村・淀野隆三と京都の宇治へ旅行する。さらに実父と連れだって道後温泉へ。9月初旬になって東京に戻っている。10月7日、短編「路上」を脱稿。11月に「橡の花」を発表した。
1926年(大正15年)、梶井26歳。1月、短編「過古」を発表。外村の住所に置かれていた同人誌「青空」の発行所を、3月1日付けで梶井の下宿(堀口方)に移転させる。4月、東向きの窓から眺められる(眺められた思える)島崎藤村宅を外村と訪問し、同人誌「青空」を献じる。7月に大阪阿倍野に帰り(清明神社の近く)、新潮社からの依頼原稿に取り掛かるが書けずに終わってしまう。8月に「ある心の風景」を発表するが、この頃、病状が悪化して血痰を度々見るようになる。東京の堀口方に詩人三好達治を誘い10月には三好は隣室に引越してくる。12月末に療養の為、川端康成が滞在する伊豆・湯ヶ島温泉を訪ねる。
翌1927年(昭和2年)、川端の知遇を得て、「伊豆の踊子」の校正に加わる。6月、同人誌「青空」を全28号をもって廃刊。川端を介して、詩人・萩原朔太郎、尾崎士郎、宇野千代らと交流する。東京の堀井方に再度戻るのは、翌年(昭和3年)の5月上旬になってからであった。この間、東大文学部は(昭和3年)3月31日付けで除籍処分になっている。
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(左写真)堀口方玄関前からの植木坂

短編「ある崖上の感情」は、「文芸都市」誌の昭和3年7月号に発表さる。この崖上の下宿(堀口方)で最初から推敲・執筆された作品ではない。大正15年7月に大阪阿倍野の実家で、新潮社の依頼で書けずに放棄した作品ではないかと推察されている。
新潮文庫の創作集「檸檬」に収められた「ある崖上の感情」から抜粋。
<<「その崖の上へ一人で立って、開いている窓を一つ一つ見ていると、僕はいつでもそのことを憶おもい出すんです。僕一人が世間に住みつく根を失って浮草のように流れている。そしていつもそんな崖の上に立って人の窓ばかりを眺めていなければならない。すっかりこれが僕の運命だ。そんなことが思えて来るのです。――しかし、それよりも僕はこんなことが言いたいんです。つまり窓の眺めというものには、元来人をそんな思いに駆るあるものがあるんじゃないか。誰でもふとそんな気持に誘われるんじゃないか、というのですが、どうです、あなたはそうしたことをお考えにはならないですか」もう一人の青年は別に酔っているようでもなかった。・・・>> P203より
昭和3年5月上旬、梶井は堀口方に再度戻り「ある崖上の感情」を仕上げている。7月23日には堀口方を引き払い、杉並・和田堀の松ノ木町にあった中谷孝雄の借家に移り、同居を始める。高熱・血痰の症状が続き、衰弱が著しくなり中谷ら友人の説得で、9月3日に実家(大阪・阿倍野)に戻り静養する。
その後、梶井は大阪で静養を続け、病弱な母親の介護に携わるまで回復する。一旦は母親と共に伊丹の兄の家に世話になり作品執筆を続け、「愛撫」「闇の繪巻」「交尾」等を発表する。だが病魔(肺結核)は梶井の身体を虫食み、再度、大阪の実家に戻り寝床に就くが、1932年(昭和7年)3月24日に母親らに看取られ逝去した(実家近くに借りた住吉区王子町2丁目13番の家で)。
梶井が下宿した堀口方は、飯倉片町一帯を襲った昭和20年の米軍の空襲で、島崎藤村が長年生活した2階建て木造の借家ともども灰燼に帰している。この一帯はほぼ全焼し焼け野原(鼡坂下のみ焼け残る)となってしまった(「東京都35区区分地図帳戦災焼失区域表示付」昭和21年刊より)。

参考
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(左より)「年表作家読本 梶井基次郎」鈴木貞美1995年 「梶井基次郎 日本文学アルバム」1985年 「評伝 梶井基次郎」大谷晃一1989年
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2013年03月10日

六本木 歩兵第1聯隊(2・26事件)

2月26日未明の決起で、歩兵第1聯隊からは3班の部隊が雪の降り積もる営門を出発していった。第1班は栗原安秀中尉指揮の機関銃隊が首相官邸に。第2班は栗原中尉と同期(陸士41期)の丹生誠忠中尉指揮で第11中隊が陸相官邸・陸軍省・参謀本部の占拠に。そして第3班(湯河原班)は河野大尉指揮(計8名)で牧野伯の襲撃に。

1936年(昭和11年)
2月25日
夕刻 栗原中尉は演習用名義で機関銃隊兵器係助手に機関銃空包600発、みどり筒、発炎筒各40個及び拳銃を準備させる。
午後7時頃 陸相官邸占拠を担当する丹生中尉の聯隊居室に香田、村中、磯部、山本らが集合し協議。各自の部署等を決定。
午後8時頃 栗原中尉は林少尉と共に学科若しくは演習に名を借り第1中隊及び第10中隊から軽機関銃、弾薬匣(ハコ)各3個及び付属品を借り受け準備。
午後10時過ぎ、歩1の栗原中尉に面会を求め、常人(=民間人・・水上源一ら)と予備役下士官ら計7名(内予備役2名)が到着。歩1の機関銃隊内で4名に軍服を着せ、指揮の河野大尉に紹介し湯河原班を編成し兵器・弾薬を交付。
午後12時頃 栗原中尉は聯隊の兵器委員助手の石堂軍曹を機関銃隊将校室に呼び付け林少尉と共に拳銃をもって脅迫し弾薬の交付を無理に承諾させる。弾薬庫から小銃実包2万8千8百発、重機関銃実包3千3百7十余発及び拳銃実包3千2百発を持ち出して準備。
2月26日(水曜)
午前0時40分 所沢飛行学校の飛行12連隊附の河野寿大尉指揮の湯河原班が雇い入れてあった2台の自動車に分乗し歩1営門(正門)を出発。
午前2時30分頃 丹生中尉が第11中隊の下士官全員11名を集め決起趣意書を配布し、更に読み聞かせる。丹生中尉はその上で「決心ヲ云エ」と参加の有無を問い質す。全員参加を誓う。
午前2時30分頃 栗原中尉は内務班長の下士官8名を事務室に集合させて、昭和維新断行の為に首相官邸を襲撃する旨をつげて決起趣意書を読み聞かせる。
午前3時 丹生中尉が第11中隊に非常呼集をかける。
午前3時 栗原中尉は機関銃隊に非常呼集をかける。機関銃隊全員を小銃3ヶ小隊と機関銃1ヶ小隊に編成する。
又、丹生中尉の第11中隊に機関銃2ヶ分隊を応援に配属させる。
午前4時 丹生中尉の第11中隊が舎前に集合整列。丹生中尉は決心を下達。
午前4時30分 栗原中尉指揮(参加将校:林八郎少尉は当日の週番士官・池田俊彦少尉=無期禁錮)で機関銃隊が歩兵第1聯隊の営出発、首相官邸を目指す。栗原中尉指揮の機関銃隊に続いて丹生中尉の第11中隊も陸軍大臣官邸(陸軍省・参謀本部)を目指し営門を出る。
 *歩兵第1聯隊の週番司令・山口一太郎大尉は部隊出動を黙認している。山口大尉は東京軍法会議で反乱者を利した間接関与者として有罪判決(昭和11年7月29日)を受け無期禁錮刑。
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(左写真)中央やや右付近が歩兵第1聯隊の正門(=旧防衛庁の正門)(右写真)当時は塀が有りT字路 手前中央に市電「聯隊前」停留所があった 左後脇に龍土軒 撮影は2012年2月29日大雪の日
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歩兵第1聯隊の隊内に建てられた石碑(筆は陸軍大将・岡村寧次)東側庭園にある
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歩1の碑誌・・聯隊の概略が刻まれている 地図は昭和8年〜16年当時です
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まだ東京ミッドタウンの計画も無かった防衛庁時代(撮影は2003年6月14日)・・銃を携えた正門警備にビビッて正面写真無し 右前方の樹木が多い所が歩1跡
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現在の東京ミッドタウンの北側の芝生広場(高台で歩1時代は営舎が東南の向きに立ち並んでいた)・・東側の庭園(池)は低地で以前はよくある普通の出入り自由な檜町公園だった 北側の端に古いコンクリート壁が残っていたがそれも撤去されて遺構は皆無(篠山紀信事務所の向い側から赤坂方向)

2・26事件リンク
「麻布十番 賢崇寺 二十二士の墓(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/21795261.html
「赤坂 近衛歩兵第3聯隊跡(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/138528702.html
「湯河原 牧野伯爵宿舎(前・内大臣)伊東屋旅館別荘(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331635880.html
「中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331937769.html
「六本木 聯隊前 龍土軒(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331977707.html
「赤坂 高橋是清・蔵相私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332103469.html
「内幸町 飛行会館の大アドバルーン(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332155976.html
「荻窪 渡邊教育総監私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332434854.html
「九段 戒厳司令部(軍人会館)(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/341259410.html
「三番町  鈴木貫太郎侍従長官邸(2・26事件)」 http://zassha.seesaa.net/article/341750813.html
「駒場 歩1栗原中尉私宅と山下奉文少将私宅(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/342058218.html
「四谷 斎藤實内大臣邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/343167821.html
「青山 第1師団司令部・師団軍法会議と相沢中佐(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/343499701.html
「渋谷 東京陸軍軍法会議臨時法廷・陸軍刑務所(衛戍監獄)(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/343700967.html

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2013年02月26日

六本木 聯隊前 龍土軒(2・26事件)

2・26事件に至る数ヶ月の間に、皇道派青年将校らが主に相沢中佐の軍法会議に関連した会合で使用した場所「龍土軒」に関してです。

1936年(昭和11年) 
 1月28日 第一師団常設軍法会議にて、歩41聯隊付き相沢三郎中佐の陸軍軍務局長・永田鉄山少将斬殺事件の初公判が開始。夜、龍土軒での第1次会合。歩1・歩3の中尉・少尉ら12〜13名参加。裁判傍聴の渋川善助からその模様を報告受ける。
 2月4日 夜、龍土軒での第2次会合。参加将校の顔ぶれが2・26事件の中心メンバーらになる。
 2月8日 夜、龍土軒での第3次会合。参加人数が極端に減少。憲兵報告では5名。
 2月10日 夜、歩兵第3聯隊週番司令室で歩3第6中隊長の安藤大尉、歩1聯隊付の栗原中尉、近衛歩3第7中隊の中橋中尉、所沢飛行学校の河野大尉、磯部元・一等主計らが集合し、決起の準備の申し合わせ。
 2月12日 相沢公判が初の非公開に(橋本近衛師団長の証人出廷)。皇道派将校に不満噴出。  
  <憲兵司令部作成「2・26事件の概況」に・・行詰りの状態を見るに至りましたる為、何等かの方法により之を打開せんとする焦燥的機運が醸し・・><一部青年将校は身を挺して之を排撃し以って公判の公正を期すべしとの強硬意見台頭し・・2月初旬以来不穏空気は醸成され・・>
   夜、龍土軒での第4次会合(*最終会合)。この会合で不満組が生じ、栗原中尉は20分で中座する。栗原や磯部は最初から公判と実力行使を区別しており裁判の行方は問題視していなかった故の中座。栗原・磯部を中心として中橋・河野らがこのグループ。 
 2月16日夜 衝撃事件発生・・週番司令の常盤少尉が午後11時に中隊下士官兵150名に非常呼集をかけ、駈足で警視庁東側に。一列横隊で「斉藤」「牧野」を連呼し銃剣で直突3回実行(銃剣で突き)・・相手は10日後に襲撃した重臣の名前。
   ・・・決起まであと9日。
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「龍土軒」の位置に赤丸付けました 店があった場所には龍土町ビル・・ビルの端に表示板が・・以前はありましたがビルもろとも撤去され何も残っていません 雪が降った2012年2月に再撮影に出かけたのです 撤去されたのは4年ほど前だったか?
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(左写真)かっての龍土軒の位置です (右写真)龍土軒前から市電「聯隊前」とその向こうの歩兵第1聯隊・・跡地には工事中のミッドタウン

フレンチレストラン龍土軒は地理的に歩1と歩3の間に在り、軍法会議の行われた第1師団司令部(青山1丁目)からの帰り道上にあたるため頻繁に青年将校らの公判の連絡・会合に利用されたのでしょう。2・26事件で名が挙がるのは迷惑のようで、もっぱら明治期からの文人のエピソードが店の「売り」で現在も西麻布1丁目の新店舗(ビル)で営業中です。クラブ「イエロー」のあった通りっていっても不明だろうな。
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*参考資料 主に「2・26事件研究資料U」1986年
      「昭和史発掘8」文春文庫  その他

「麻布十番 賢崇寺 二十二士の墓(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/21795261.html
「赤坂 近衛歩兵第3聯隊跡(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/138528702.html
「湯河原 牧野伯爵宿舎(前・内大臣)伊東屋旅館別荘(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331635880.html
「中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331937769.html
「赤坂 高橋是清・蔵相私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332103469.html
「内幸町 飛行会館の大アドバルーン(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332155976.html
「荻窪 渡邊教育総監・私邸襲撃(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332434854.html
「九段 戒厳司令部(軍人会館)(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/341259410.html

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2013年01月08日

六本木 cafe FRANGIPANI(前田敦子が座った席に・・・)

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真後ろがテレビ朝日(スタッフ通用口兼搬入口のある側) 前方の止まれの通りが芋洗い坂
左側がカフェ・フランジパニ 小奇麗にキッチリときめてなくユルイ感じが良い・・・けやき坂下のツタヤ+スタバが混んでいる場合はこの店を利用(逆も有り)・・ここでは食事をする機会が多いのですが、カレーかオムライスを注文することがほとんど(ソースは変えるけど)・・メニューは豊富です(南十字星をイメージすれば料理が思い浮かぶ)
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店の奥のスペース写真2枚 奥の壁際でPC使用しても電波状態(wimax)は良好(電源コンセント無し)・・店の方に頼めば家庭用タップコードを使わせてもらえます 親切でサービス良好(基本はほっといてくれるので◎)

・・・・で 前田敦子が何処に座ったかというと・・・入口の近くの緑色のワーゲン(車)に接したテーブル席(壁側の椅子)。下左が前田の目線・・右写真は真っ直ぐ前を見た感じ・・SDN48の佐藤由加理が向かいに座っていた
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この店での収録の模様はhttp://www.youtube.com/watch?v=XCUT83Ln4VU(ユーチューブ)で見れます 前田の座った席からの写真4枚(携帯ばかりいじっていて周囲は余り見てないけど)・・以前、韓国の人気グループが店内で撮影をしたようでファンが休日に訪れてくる=ワーゲンの中の席が人気!・・・前田のファンは知らないみたいで来ないみたい・・・
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右を見るとガラス窓越しに路地 上を見上げると車の上に変な奴が・・・

 港区六本木6-8-21 六本木眞興ビルSK六本木ハイム1F 
 11:30〜25:30LO
 無休
続きの写真を全て見る
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2012年09月19日

六本木 AKB・オフィス48関連 六本木イマカツ

六本木交差点近くの<ささみかつ>が人気のとんかつ店「六本木イマカツ」。
AKB48に関連した店とは全く表記してなく、もちろん店内にAKBサウンズは流れてません。オフィス48のHPからの一方通行でこの店舗HPに辿りつけます。芸能プロ・服飾メーカーなどの企業は飲食分野にかなり業務拡大しており、一般的に税務対策用と・・言われてますがオフィス48も形態の異なる飲食店をいろいろと経営してきました。
なかでもこの店は気軽におすすめできる1店です。但し、ランチタイムはちょっと遅めの2時くらいまでは近所の勤め人らのリピーター客で混雑しており、案内されても窮屈な食事に・・・2時を過ぎればゆったりです。揚げものは全品とも上品にさっぱりとした揚げ具合で女性客も多いです。カウンターから奥の小上がりの席まで黒をベースにした内装で・・・AKBチームBのB推しの衣装とマッチする雰囲気(もちろん愛想のいい女性接客係は着てるわけないです・・でも黒系です)。
「ささみかつ膳」1100円が人気で、お勧めです。ご飯は「白米」または「雑穀米」から選択・・雑穀米が人気で先に無くなるようです。
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左:ヒレささみ+かにクリームコロッケ定食1200円(雑穀米選択)  
右:ささみかつ膳1100円(白米選択)カラシ忘れ
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    ソースと塩の並び順は説明図の通りに置かれてます
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   どんぶりに山盛りキャベツ
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              六本木「イマカツ」周辺図

(株)オフィス48 代表取締役 芝幸太郎 http://www.office48.jp
   関連系列
(株)グラッシーズhttp://www.grasseeds.jp/(「イマカツ」http://www.grasseeds.jp/imakatsu/)    
(株)サファリ
(株)デジタルマーケット http://www.digitalmarket.tv/img/oshimenkyo20120618.pdf

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