2011年11月29日

元麻布 専称寺 沖田総司の墓

専称寺(せんしょうじ)の本堂裏手に新選組隊士・沖田総司の墓があります。
所在地は港区元麻布3−1−37。テレ朝通りの東側に面して山門を開いています。
米津藩の家臣・笹原家の出身である笹原嘉門は、剣術を通じて近藤勇・沖田総司と親しく、その近藤から病身の沖田総司の隠れ先を相談され、笹原は米津藩出入りの千駄ヶ谷の植木屋・平五郎の承諾を得ます。近藤の発案で、官軍を欺くため隅田川西岸の今戸で死亡したとの噂を作ったものと思われます。嘉門は千駄ヶ谷の隠れ家で将棋などをして総司を慰めておりましたが、総司は慶応4年5月30日に肺結核のため死去。享年25歳。
沖田総司の出自は、沖田勝次郎の子で1844年(天保15)に麻布霞町(現在の西麻布)の白河藩下屋敷で誕生。将棋相手をしていた笹原嘉門は、その将棋駒の半分を総司の墓に埋めます。その嘉門も明治3年に同じ肺結核で死去し、嘉門の息子は墓に将棋駒の残り半分を入れ弔い、さらに墓石の台座に石造りの将棋盤をしつらえました。その笹原家の代々の墓も戦災を受け造りなおすことに。その際、石の将棋盤のみが寺に保存されたといわれてます。
**参照「新選組大事典」1994年
沖田総司の墓は、通常は非公開となってます。病的な美青年と伝えられるため、墓前には女性によるものか常に花がたむけられてます。
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中央奥に沖田総司の墓石 右写真はその拡大・・まだ生き生きとした花々が手向けられてます

posted by y.s at 23:22| Comment(0) | 麻布・白金 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする