2010年11月22日

本郷 紙屋・松屋跡(芥川龍之介の原稿用紙)

東大正門近くの本郷通り沿いで、日本初の大学ノートの製造販売をおこなった紙屋「松屋」。
1884年(明治17年)に紙製品の製造販売を目的として創業し、原稿用紙の扱いでは、文豪・夏目漱石、芥川龍之介、徳田秋声らの愛顧を得てゆく。特に芥川龍之介が愛用し、青い枠線・左下の同色の店名の入った原稿用紙を、現在でも各地の文学館の催し等で度々目にすることができます。駒場の日本近代文学館の芥川龍之介展でも展示原稿のほとんどが松屋製。甲府の山梨県立文学館でも芥川直筆の松屋製の1枚が展示されていた。
松屋は昭和19年、戦局悪化の中、空襲による類焼防止のための建物疎開命令で店舗を解体。店の裏(西側)にあった土蔵を残して、路地(落第横丁)の北側に工場を移転して営業再開。創業69年目の1955年(昭和30年)になって紙屋「松屋」は解散しました。
1980年(昭和55年)に至って、残っていた土蔵も解体され「松屋」の面影は完全消滅。元の工場だった木造の建物には、少し前までは「ネオシッティングルーム」というカフェが入居していたが、現在は中華料理店が営業中。「赤門ロイヤルハイツ」のビルの北端部分が紙屋「松屋」でした。
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物置風の建物がある場所が紙屋「松屋」跡 奥のクラシックなビルは元「日本昼夜銀行本郷支店」 (右写真)落第横丁・・左奥に土蔵があった
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本郷通りの店舗が建物疎開で取り壊された後に工場として使用した木造の建物 地図の記入数字は旧表示住所の地番
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2010年01月30日

日本橋小網町 喫茶 桃乳舎

日本橋小網町の日本橋川に近いこの一画は、証券会社などのビル群に囲まれた中に
奇跡的に昭和初期の看板建築が生き残っています。
なかでもネーミングに魅かれる明治37年創業といわれる喫茶店「桃乳舎」の
建物は、群を抜いた美建築です。かなり見上げる形になるため気付きにくいのですが
2階の最上部に冠されている「桃」のマークは、建物の重厚感をそこねることなく
店名を主張しています。
店内に入ると、テーブル・椅子などの設備は低料金の軽食喫茶にマッチしていて
不平はいえません。周囲の証券会社などの常連客をしっかりつかんでいる店です。
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                        2階上部の「桃」マーク続きの写真をみる
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2010年01月17日

上野桜木 旧・寛永寺坂駅跡

上野桜木2-3に、1953年(昭和28年)3月1日に正式廃止された京成線寛永寺坂駅舎が残されています。京成上野駅→博物館動物園駅(1997年休止・2004年廃止)→寛永寺坂駅(1953年廃止)→日暮里駅(JR乗り換え改札通過で可)の駅順でした。
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    旧・寛永寺坂駅駅舎 現在運送会社が建物と旧駅前広場を使用してます
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   下り日暮里方向左側の残されているホームと階段 階段上部に右書きで「口出」の案内板

撮影はかなりのスピードで走行してるために、私の場合は運次第で、赤の運行表示が見えたらシャッター
・・・で、上の写真になりました。暗闇の中のフラッシュ使用のため連写モードが使えず一発勝負です。
注意点は、窓を開けられる古い車両を選ぶことと、風が吹き込むため他の乗客の迷惑にならない配慮。
よって休日の早朝になりました。
続きの写真を見る Article of the continuance
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2009年11月22日

日比谷 日比谷公園 芥川龍之介「東洋の秋」より

1920(大正9)年4月発行の「改造」誌第4號に掲載された当初の題は「小品二種」で、小篇「沼」の後に「秋」という小篇が配されていた。後に「東洋の秋」と改題され、短編集「沙羅の花」等に収められた。
ひっそりとした秋深い日比谷公園を目的もなく心身に倦怠と疲労をかかえて主人公はさまよう。
「芥川龍之介全集第3巻」岩波書店1977年刊に収録分より抜粋。
<<おれは日比谷公園を歩いてゐた。
 空には薄雲が重なり合つて、地平に近い樹々の上だけ、僅(わづか)にほの青い色を残してゐる。そのせゐか秋の木の間の路は、まだ夕暮が來ない内に、砂も、石も、枯草も、しつとりと濡れてゐるらしい。いや、路の右左に枝をさしかはせた篠懸(すずかけ)にも、露に洗はれたやうな薄明りが、やはり黄色い葉の一枚毎にかすかな陰影を交へながら、懶(ものう)げに漂つてゐるのである。>>
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<<おれは籐の杖を小脇にして、火の消えた葉巻を啣(くわ)へながら、別に何処へ行かうと云ふ當(あて)もなく、寂しい散歩を續けてゐた。
 そのうそ寒い路の上には、おれ以外に誰も歩いてゐない。路をさし挾んだ篠懸(すずかけ)も、ひつそりと黄色い葉を垂らしてゐる。仄(ほの)かに霧の懸つてゐる行く手の樹々の間からは、唯、噴水のしぶく音が、百年の昔も変らないやうに、小止(をや)みないさざめきを送つて來る譯。その上今日はどう云ふ譯か、公園の外の町の音も、まるで風の落ちた海の如く、蕭條した木立の向うに静まり返つてしまつたらしい。―と思ふと鋭い鶴の聲(*声)が、しめやかな噴水の響を壓(*圧)して、遠い林の奥の池から、一二度高く空へ擧つた。>>
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<<おれは散歩を續けながらも、云ひやうのない疲勞と倦怠とが、重たくおれの心の上にのしかかつてゐるのを感じてゐた。寸刻も休みない賣文生活! おれはこの儘たつた一人、惱ましいおれの創作力の空に、空(むな)しく黄昏(たそがれ)の近づくのを待つてゐなければならないのであらうか。さう云ふ内にこの公園にも、次第に黄昏が近づいて來た。おれの行く路の右左には、苔の匂や落葉の匂が、濕(*湿)つた土の匂と一しよに、しつとりと冷たく動いてゐる。その中にうす甘い匂のするのは、人知れず木の間に腐つて行く花や果物の香りかも知れない。と思へば路ばたの水たまりの中にも、誰が摘んで捨てたのか、青ざめた薔薇の花が一つ、土にもまみれずに匂つてゐた。もしこの秋の匂の中に、困憊(こんぱい)を重ねたおれ自身を名残りなく浸す事が出来たら―
 おれは思はず足を止めた。おれの行く手には二人の男が、静に竹箒(たけぼうき)を動かしながら、路上に明く散り亂れた篠懸の落葉を掃いてゐる。(略)>>
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<<おれは徐(おもむろ)に踵(きびす)を返して、火の消えた葉巻を啣(くわ)へながら、寂しい篠懸の間の路を元來た方へ歩き出した。が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時か静な悦びがしつとりと薄明く溢れてゐた。あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。
寒山拾得(かんざんじつとく)は生きてゐる。
永劫の流轉を閲(けみ)しながらも、今日猶この公園の篠懸の落葉を掻いてゐる。あの二人が生きてゐる限り、懐しい古(こ)東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。賣文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。
 おれは籐の杖を小脇にした儘、気輕く口笛を吹き鳴らして、篠懸(すずかけ)の葉ばかりきらびやかな日比谷公園の門を出た。「寒山拾得は生きてゐる」と、口の内に独り呟(つぶや)きながら。
   ―大正九年三月―  >>

*篠懸(すずかけ)=プラタナスPlatanus。
*初出には、執筆日付の大正九年三月は省かれている。
*原文にルビ無し。(*)内は新字体を付け足し。
撮影は2006年3月(1枚)、2007年2月(2枚)。

芥川龍之介リンク
京都 芥川龍之介と宇野浩二の女買いの顛末記 http://zassha.seesaa.net/article/394984566.html
鎌倉 芥川龍之介の野間洗濯店下宿跡(和田塚) http://zassha.seesaa.net/article/22009376.html?1475175742
横須賀 横須賀線と芥川龍之介「蜜柑(みかん)」 http://zassha.seesaa.net/article/442379617.html
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2009年07月08日

羽田 穴守稲荷 落語「死神」六代目三遊亭圓生より

穴を守ると書いて、穴守稲荷。読んで字の通りでございまして、下半身に重きをおく商売にいそしむ艶っぽい女性方御用達のお稲荷さんであったようです。「江戸東京地名辞典」(講談社学術文庫)に、学術文庫ですよ、学術、そのアカデミックな辞典を紐解くと、ズバリ、核心をつく指摘がなされております。「明治になって汽車が横浜まで通じるようになってから栄えた稲荷で、その名にひかれて花柳界や水商売の人、女性の参詣人が多い所」。さらに、半端でない人出であったようで、「京浜急行羽田空港線は、かって穴守線といった。穴守稲荷の参詣人を当てこんで建設した支線である」、まあ全部が全部、穴の無事を願ったわけではないんでしょうが、鉄道を敷くほどの人出があったことは間違いないようで。
どんなお稲荷さんかというと、
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由緒正しい佇まいで、これといってかわったところは見当たりませんし、
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この写真だと、奥がせばまって、いい感じなんですが、さらに、奥の宮の写真も。
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奥の院・・・だと響きがいいんですが、こちらは寺ではないんで、奥の宮。
穴守稲荷の旧地は、敗戦により羽田飛行場が米軍に接収されるまでは、そこにあったんですが、米軍による拡張工事が始まったんで、昭和23年に現在地に追い出され、大きな鳥居だけは旧国際線駐車場内にポツンと残されて、タタリがあると怖がられたんだが、その鳥居も平成11年になって弁天橋南詰におん出されてしまって・・・念を押すようですが、もうひとつ、六代目三遊亭圓生(えんしょう)の落語「死神」にも、そのことが・・・。
<<昔からよく流行(はやり)すたりという事を申します。流行(はや)る時代というとおかしなもので、あとで考えてどうもおかしなものが流行ったもんだなんと思ってね、馬鹿馬鹿しいようなものでもその時代にはそれでなくちゃァならないんで・・・。まァ、洋服なぞでも衿巾が広くなったとかせまくなったとか、ズボンが細くなったり広くなったり、いろいろでどざいます。そう太くなるッたってあなた、自分で穿(は)ききれない程そんなに太くはなりませんし、足より細いズボンなんてえものはないんですから・・・これァもう程度が決まっております。
また商売で流行すたりがある。人間ばかりではどざいませんで、神様ですら流行すたりがございます。どうもあんまりぱッとしない神様なんてえのもありまして・・・。
ひところ、穴守稲荷・・羽田にございます、これがたいへんに花柳界に人気があるというのでお参りをする方が多かったんですね、穴守稲荷という・・・。まずこれは名前のせいで繁昌したのかどうか、それァわかりませんけれども・・・。>>
以上、「新版圓生古典落語」集英社文庫より抜粋。
圓生も「それァわかりませんけれども」と結んでいるように、お稲荷さん側にとっても、いいのか、はた迷惑なのか、誤解されるといけないってんで、ちゃんと「穴」の由来を告示している。
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あの「穴」とは無関係を強調しすぎたせいか、境内には女一人おらず、メス猫一匹歩いていない、いるのはおキツネ様ばかり。

三遊亭圓生リンク
大阪北浜 淀屋橋 落語「雁風呂」六代目三遊亭圓生よりhttp://zassha.seesaa.net/article/447903942.html
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2009年03月28日

小松川 戦争遺跡 小松川文書庫

小松川3丁目公園の一画に、江戸川区により保存管理されている東京大空襲を次世代にまで
記憶するための戦争遺跡です。
昭和20年3月10日の米軍による無差別爆撃で下町一帯は焦土と化し、この付近の木造家屋も焼き
つくされ、江戸川区役所のこの文書庫だけが建造物とわかる形で残ったそうです。
現在、都内で同様な大きな形で残されているのは立川の元・日立航空機立川工場の変電所のみだと
おもいます。この変電所は銃爆撃にさらされたため機銃弾の痕跡が多数あるのでダイレクトに戦争を
伝えてますが、文書庫は油で焼かれたためはっきり判る生々しい傷跡はありません。
かなり広い公園なので、隣りにある「世代を結ぶ平和の像」とともに鉄製の焼夷弾のレプリカなどを
製作展示したらより効果的になると思います。焼夷弾がどのような形をしているかイメージできる人
多く無いと思います。
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2008年12月03日

霞が関 元AV女優・倖田梨紗被告 初公判〜判決(東京地裁)

覚醒剤取締法・大麻取締法違反の両容疑で現行犯逮捕された元AV女優・倖田梨紗被告(本名K・A 本籍・東京都)の初公判が、2008年12月3日(水曜)午後に東京地裁で開廷し、即日結審、判決が言い渡された。ノーメイクの小柄な同被告は濃紺のアディダスの3本線入りジャージで金茶色のショートヘアを後ろで束ねた姿で入廷(手錠は被告人席ではずされた)。交際相手で港区高輪の倖田被告のマンションで半同棲状態だったというプロテニスプレーヤーのM被告(大麻取締法違反容疑で逮捕)については簡単に述べられただけで、法廷の右最前列に情状証人として出廷していた黒ニット服姿の実母が証言台に立つ。倖田被告が覚醒剤にのめり込んだ原因が次々と明らかにされて行く。
被告が元人気AV女優ということで傍聴席は開廷15分ほど前には満席に(抽選は無し)。法廷での倖田被告の印象は、要点のはっきりしないのっぺりした話し方と消え入りそうな小声のため、小柄な細身の容姿がますます萎縮して見えたことだ。傍聴席の最前列でメモをとる記者らしき者も耳だけが被告席に少しでも近づこうという姿勢になっている。何を言ってるか理解不能なのだが裁判は進行してゆく。将来の就業(再就職)は未定で、都下(西東京市)の実家に戻り、家族(祖母・母)の生活指導のもとに再起を図りたいとの要旨だ。
この日の午前、準強姦罪で起訴された元ギャガ・コミュニケーション社員OO被告の件も担当していた厳しい印象の検事が倖田被告の件も担っていたのだが、午後のこの法廷では、穏やかな感じで彼女に懲役1年6ヶ月を求刑。裁判長は即刻、判決言い渡し。「主文、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年」。
泣きはらして赤くなった鼻をタオルハンケチで押さえ続けている倖田被告に、裁判長は優しく執行猶予の意味を説明。ここで1ヶ月余にわたる拘束が終了。そのまま自由の身となったが、一瞬だがこのとき当ブログ管理人と視線があったのだ。彼女は、密売人や薬物関連の友人の携帯アドレス・番号を消去して連絡不可能にすると誓っていた・・・はたして。
事件番号 平成20年特(わ)2147号 
法廷 8階806号 15:00〜16:00
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港区高輪の倖田梨紗被告の居住していたマンション(名称は伏せる) 拘留中に親族らによって引き払われている 公共交通を使いにくい不便な場所だ
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2009年(平成21年)2月9日 K・A(23才)逮捕 *現在、刑期満了しているため本名は伏せる 
西東京市の実家に戻って家族の生活指導のもとに再起を図っていたはずの元AV女優・倖田梨紗(本名K・A23才)は、しっかりとマークされていることを理解していなかったようで、保釈後、2ヶ月余で再度、覚醒剤取締法違反容疑(使用)で、2回目の逮捕(使用は2009年1月はじめ、逮捕2月9日)。執行猶予3年の期間を大幅に残しての猶予中の逮捕で、今回は実刑服役が確実に科せられる。 

2009年(平成21年)4月15日(水曜)、東京地裁で覚せい剤取締法違反容疑の初公判。
事件番号 平成21年特(わ)248号 法廷 7階710号 10:00〜11:00
倖田梨紗被告は前回の公判とまったく同じ濃紺のアディダス3本線入りジャージ姿で出廷。再放送を見てるようだが、今回の情状証人は実母でなく、彼氏(婚約者)が出廷。あのプロテニスプレーヤーのMとは別れていたらしい。倖田被告は、覚せい剤使用へのブレーキが全く効かないようで、執行猶予で保釈された直後の昨年12月中と今年1月初旬に3回使用。検察は懲役2年を求刑。判決は4月22日(水曜)午後2時に地裁7階710号法廷の予定。
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       霞ヶ関の東京地裁 敷地内は報道といえど写真撮影厳禁
2009年(平成21年)4月22日(水曜)、判決申し渡し。福島かなえ裁判官は、懲役1年4月の実刑を言い渡し。倖田梨紗受刑者は、これでしばらくは売人・薬物フレンドとも鉄格子で遮断。

刑期終了後、倖田梨紗の彼氏(婚約者)だった彼とはどうなったか知らない。渋谷・宇田川町のイベントも行きそびれている。
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2007年05月30日

鳥居坂 故・ZARD坂井泉水 献花追悼(所属事務所ビーイングで)

2007年(平成19年)5月27日に慶應義塾大学病院で急逝したZARDのボーカル坂井泉水(本名・蒲池幸子)さんに関して、翌28日、所属事務所が公式コメントを発表した。以下、全文。
<<ZARDファンの皆様ヘ 弊社所属アーティストであります、ZARDのボーカル/作詞家、坂井泉水が、本日、5月27日15時10分、不慮の事故による脳挫傷の為、永眠致しました。
坂井さんは、昨年7月、子宮頸癌を患い、都内某病院にて、入退院をくりかえしながら闘病生活を送っておりました。摘出手術により、一度は快方に向かっておりましたが、子宮頸癌の肺転移が認められ、今年4月に再入院を余儀なくされました。主治医及び病院関係者の治療のおかげをもちまして、ここ最近は、早朝に病院の敷地内を散歩するまでになり、気丈にも体調回復のための日課としておりました。この日も病室に戻る途中、階段の踊り場(約3メートルの高さ)を通った際、前日の雨により足を滑らせて転落、後頭部を強打したことが、要因となりました。
これまでZARDを応援して下さった皆様に深く感謝し、いつまでもZARD作品が、皆様の心の中に生き続けることを願っております。
2007年5月28日 ビーイングスタッフ一同 >>

発表後、所属事務所ビーイングのオフィス(自社ビル)1階ロビーに遺影と献花台が置かれ、関係者や多くのファンが次々と追悼に訪れている。玄関前の駐車場には記帳所が設けられ、来訪者一人ひとりに事務所スタッフが丁寧な応対を繰り返している。
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遺影と献花台が設けられた所属事務所ビーイング本社 所在地は港区六本木5-14-35 ビーイング鳥居坂ビル 最寄駅は地下鉄麻布十番駅 鳥居坂下信号から急勾配の鳥居坂を上りきったところ 国際文化会館正門の向かい側
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左写真)ビーイング鳥居坂ビルの玄関を入った正面に遺影 (右写真)記帳台
*2007年5月29日撮影・記。 

<追記>ビーイング本社に設置された献花台は、4日間の予定であったが、6月3日(日曜)の20時まで延長されることになった。受付開始は10時から。また、6月27日(水曜)に「ZARD坂井泉水さんを偲ぶ会」を青山葬儀所にて行なうと発表されている。
一般の「偲ぶ会」を前にした6月26日(火曜)に関係者(芸能・文化人ら)限定の「ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会」が音楽葬として催された。翌日の一般向け「偲ぶ会」には4万余名が追悼に訪れたという。

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<追記>ビーイング鳥居坂ビルでZARD坂井泉水に関連したイベントが開催される
2012年2月10日〜4月1日 My Best Shot展 
   4月4日〜5月31日 Request Best Shot展   
    休館 月曜・火曜(祝祭日の場合と5月28日及び29日は開館)
    入場料 一般1000円  
以下、ビーイング公式HPより
<<ZARD 20周年のフィナーレを飾る「ギャラリー」が東京・六本木にオープンします。デビュー21年目を迎える2012年2月10日から5月末日までの期間限定で、数々の思い出の写真や衣装、プライベート・グッズなどを展示したギャラリーです。前半は「My Best Shot展」と題し、ZARDの歴史を感じる代表的な写真の数々を、そして後半は「Request Best Shot展」と題し、ファンの皆様のリクエストによって選ばれた人気の写真を展示していきます。また、CDや記念グッズの販売もございます。会場 ZARD GALLERY ビーイング鳥居坂ビル>>
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(左右写真)イベントに向けデコレートされたビーイング鳥居坂ビル 以前はあった社名入りのオブジェが撤去されている(車両の出入りに邪魔なようだ)

坂井泉水リンク
信濃町 ZARD坂井泉水 逝去 http://zassha.seesaa.net/article/44471462.html
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2007年01月04日

神田須田町 甘味処 竹むら(竹邑)

神田須田町から神田多町一帯には戦災を免れた建物が数多く現存している。神田須田町1丁目には、昭和5年竣工の「竹むら」をはじめとして、「藪蕎麦」「いせ源本館」「神田まつや」「ぼたん」と5ヶ所が「東京都選定歴史的建造物」として建ち並び、老舗としての暖簾を守り続けている。(*「藪蕎麦」は焼失建替えて2014年再開・指定は除外された)
和菓子処「竹むら」は、平成13年に「東京都選定歴史的建造物」に指定されている。
建物名 「竹むら」 
所在地 千代田区神田須田町1-19
建設年 昭和5年(1930年)
設計者 不詳
構造 木造3階
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入母屋造りの3階建てだが、屋根と庇で計4層に見える。2階の欄干には、竹と梅をあしらった模様が彫られ、日よけの簾(すだれ)が東南二面に取り付けられている。軒下の燈籠には「竹邑」の文字。読み易いように、店名の「邑」を「むら」の平仮名表記に変えている。
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   甘味処 「竹むら(竹邑)」 
   電話 03-3251-2328
   定休日 日曜・祝日
   営業時間 11:00〜20:00
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昭和初期の日本家屋の店内は丁寧に手入れされており、昔のままの落ち着いた佇まいの中で伝統の甘味を楽しめる。玄関の戸はもちろん手動で「ガラガラ戸」。
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座りたい席に着けば、すぐに桜湯(塩漬けされた桜の花入り)が出され、メニューで品定め。桜湯は甘いものの後の口直しぴったり。
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(左写真)あんみつ680円(ほうじ茶付き)。 (右写真)あわぜんざい760円
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(左写真)くずもち530円  (右写真)揚げまんじゅう430円
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(左写真)1階奥の客席。支払いは伝票にて帰りに正面奥のレジで。レジ横に持ち帰り用の品が並んでいる。 (右写真)値段表は、2006年12月撮影時点のもの(税込み表示)。

池波正太郎「むかしの味」新潮社1984年刊に「竹むら」が取り上げられている。「粟ぜんざい」−神田「竹むら」の章より抜粋。
<<(略)東京の汁粉を、京阪では[ぜんざい]というのだそうな。東京で[ぜんざい]といえば、汁粉よりも、こってりと熱い小豆餡に粟(あわ)や栗(くり)をあしらって出す。ことに粟ぜんざいは私の好物だ。(略)現代の汁粉屋は、いずれも喫茶店のような店構えになってしまったが、むかしの趣(おもむき)を偲ばせる店がないではない。神田・須田町の[竹むら]へ入ると、まさに、むかしの東京の汁粉屋そのもので、汁粉の味も、店の人たちの応対も、しっとりと落ちついている。(略)>>

リンク 外神田 神田明神 アニメ「ラブライブ!」の聖地(「穂乃果」の実家の和菓子屋「穂むら」付き)http://zassha.seesaa.net/article/410063393.html
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2006年05月11日

麻布十番 3116 GALLERY CAFE (カフェは閉店) 

麻布十番の二の橋交差点に近い路地で、木梨憲武・安田成美夫妻が経営するカフェ「3116 GALLERY CAFE」。店名3116は住所「麻布十番3-11-6」から。
1階はフラワーショップで、その横に「3116 GALLERY CAFE」(3116GALLERYビル)のエントランスがある。各階ごとに異なるカフェ空間を作り上げていて、婦人服・雑貨の展示販売コーナーも設けている。
撮影2006年4月。
3116 GALLERY CAFE HP http://www.3116gallerycafe.com/
*2007年5月をもってカフェ営業は終了。ギャラリーとして営業中。木梨憲武氏のアトリエ兼用。
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(左写真)3116 GALLERY CAFE(右のビル)奥は仙台坂。左方向が二の橋(仙台坂下)。 (右写真)1階のフラワーショップ。
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カフェ名「3116 GALLERY CAFE」の3116は住所から(麻布十番3-11-6)  
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営業時間11時〜19時
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(左写真)1階エントランス部分 (右写真)2階フロア。
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(左右写真)3階フロア。
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3階フロアは壁面の展示絵画数がもっとも多い。大テーブルは意識的にペイント。
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ランチタイムのカレーセット1000円(オーガニックコーヒー付)。15時まで。
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(左写真)3階の小部屋に置かれたスタッフデスク。 (右写真)3階南側の窓から仙台坂を望む。 
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(左写真)カフェ営業が廃止され、壁面から「CAFE」の文字が削られている。 (右写真)ギャラリー然としているエントランス部分。 左右写真とも2012年1月撮影。

タレント・木梨憲武氏による「木梨憲武展x20years INSPIRATION 瞬間の好奇心」が2014年5月20日(火曜)〜6月8日(日曜)まで上野の森美術館で開催されている。開館時間10時〜17時(金・土曜は19時まで)。木梨氏は、過去7回に及ぶ個展を開催してきているが、今回は絵画・ドローイング・オブジェなど328点の作品群を展示している。開催準備にあたり、妻の安田成美さんが全面協力している。
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入館料は、一般・大学生1300円、中高生=700円。
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公式HP http://www.kinashiten.com/

小田急線祖師谷大蔵駅北口の祖師谷大蔵商店街で1961年に創業した「木梨サイクル」のグッズが、原宿(神宮前6丁目)でも入手できる。期間限定で帽子ブランドショップ「オべりド」とコラボして商品展示している。撮影2015年。
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*木梨憲武氏関連の情報を、写真が撮れ次第ここに追加予定。
posted by t.z at 00:52| Comment(0) | 東京東南部tokyo-southeast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする