2014年11月30日

中野 MAGフェスタ2014(第1回) コスプレパレード

11月30日、第1回「MAG(マグ)フェスタ」が、JR中野駅周辺一帯で開催された。主催は、中野ブロードウェイ商店街、中野南口駅前商店街、中野サンモール商店街。中野の町を端的にイメージする三つの言葉、漫画(M)・アニメ(A)・ゲーム(G)からその頭文字を合成した「MAG(マグ)」をイベントの名称としたが、オタクの(O)が除外されたのは残念。第1回開催ということでレイヤーの参加人数は、けして多いとは言えぬが、寂しくはない最低限以上のレイヤーが参加していた。この日は、晴海客船ターミナルで「東方艦これアイドル仮装祭」が開催されており、その為なのか中野には「艦これ」のレイヤーは見受けられなかった(推定・金剛がいたかも)。午後、2回行われたコスプレパレードの内、最初の回(中野駅南口)からのスナップと、気になったレイヤーのコスプレを公開。このイベントは11月30日のみで、来年度の第2回目開催は未定。
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(左写真)自宅警備隊(本部アキバ)が出張宅外警備するなか、BSスターチャンネルで放送中の「パトレイバー」が屹立する。ガンダムではないと一言付け加える。(右写真)MAGフェスタのメーンポスター(作成bob氏)。
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(左写真)JR線路沿いを行く出発直後のコスプレパレード。 (右写真)「ハト」さん、立止まってポ〜ズ。彼女は初コスが8月10日、でハ・トをコス名にしたレイヤー。
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(左写真)手をつないでたのしそうな「とき」さん。 (右写真)南口の商店街をぐるりと歩いて中野通りに。

以下、中野サンプラザ前の「コスプレ広場」で。レイヤー名は「」で括り、敬称略。
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(左写真)「松原杞沙(きさ)」。シン・レイの公式コスプレイヤーで事務所に所属するモデルさん。左右のカラコン色が別々。 (右写真)都内在住のラブライブ真姫好きな「てとら」。
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(左写真)「みあたん」(アーカイブ無し)。もぎゅにこにー。彼女のツイッターから。<みあたん@MAGフェスタ 中野なうだよーー!!!ふうちゃんときたーん!MAGフェスタもりあがってふ\(^o^)/> 以上。 (右写真)「みあたん」と一緒に中野MAGフェスタに来た「水葵ふう」(みずあおい ふう)。コスはVOCALOID鏡音リン。
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(左写真)パレード写真でも出ていた「ハト」。コスはダンガンロンパの江ノ島盾子。(右写真)そに子が大好きな「ひなせ」。今日のコスは、鮫柄 (さめづか)学園の似鳥(にとり)愛一郎(「Free!」より)。坊やになってるので誰だか分からない。
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(左写真)都内在住のヘタリア好きな「水瀬(みなせ)」。 (右写真)パレードで(女子=右のレイヤーと)手をつないでいた「とき」。
パレード写真追加。
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2014年08月12日

中野ブロードウェイ まんだらけ 警告のタイムリミット迫る(万引き犯逮捕)

中野ブロードウェイの「まんだらけ」で万引きを働いたとされる男に対し、同店は警察に届け出たが、未だ検挙に至らず、独自に同店のHP内で「手配書」を作成し「自首」(返却)することを要求している。話題となっているのは、その「手配書」(顔モザイクがかかっている)に返却期限(8月12日内)が設定されていること。期限までに返却しない場合は、万引き犯の顔モザイクを外すと警告している。
警告文<8月4日17時頃 まんだらけ中野店4F変やで25万円の野村トーイ製鉄人28号No.3 ゼンマイ歩行を盗んだ犯人へ 1週間(8月12日)以内に返しに来ない場合は顔写真のモザイクを外して公開します>原文ママ
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JR中野駅北口前の中野サンモールを抜けると、サブカル系の店舗が各階に並ぶ<おたくの聖地>中野ブロードウェイだ。なかでも「まんだらけ」各店は、中野ブロードウェイの中核となる店舗だ。右写真は、「まんだらけ」の一部の店舗(廊下から)。
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右写真が盗難にあった商品(同店の警告文ページから)、「鉄人28号No.3ゼンマイ歩行」だ。
まもなくタイムリミットの24時が迫る。「まんだらけ」は、顔写真公開に賛否両論が交錯するなか、モザイク外しに踏み切るのであろうか。年間を通した万引き被害額は、外部からは計り知れないが、相当経営にダメージを与えているのだろう。断固たる姿勢を示さないと、つけ込まれ、万引きが蔓延する事態を招くことが予想される。12日23時15分現在、警告文のモザイクがかかった手配写真はそのままの状態だ。
警告文 http://news.mandarake.co.jp/2014/08/05-1.html

8月13日午前0時10分、「まんだらけ」HP内の警告文にある手配写真のモザイクは外される気配がない。警視庁中野署の意向を受け入れたかは不明。
13日午前0時10分頃、「まんだらけ」は、HPトップページで顔写真公開の中止方針を発表。警視庁の要請によるものと中止理由を述べている。また、12日夜、万引き犯の身内らしき女性から、返却に関する内容の電話があったことも付け加えている(捜査により無関係)。中野ブロードウェイ周辺には報道陣多数が待機していたようだ。
顔写真公開中止発表文http://news.mandarake.co.jp/2014/08/13-1.html

8月18日午後、警視庁中野署は、千葉市若葉区在住の50歳の男を任意同行し、万引き(窃盗)容疑で取り調べ中。盗んだ25万円税抜き相当の「鉄人28号」のブリキ製おもちゃは、3日後の8月7日夕方、同じ中野ブロードウェイ内の古物商に持ち込まれ、6万4千円で買い取られていた。当初は犯行を否認するものの、19日朝になり犯行を認めた為、窃盗容疑で岩間和俊容疑者(50歳・アルバイト)を逮捕した。売却先の古物商で使用された身分証明は健康保険証。その表記住所から特定され、任意同行に至った。盗品に相違ないと確認した「まんだらけ」は、「鉄人28号」を買い戻す形をとるのか同社HPは発表していない。
「まんだらけ」側も2度目のモザイクはずしのカウントダウン(警視庁へのブラックジョーク)を始めることなく収束することになった。
    *写真撮影は2009年2月

10月31日午前10時30分、東京地裁にて中野区の古物商「まんだらけ」から「鉄人28号」のブリキ製商品を盗んだとする窃盗罪に問われていた千葉市若葉区都賀の台に住む岩間和俊被告(50才・港湾荷役作業員)の判決公判が開かれ、園原敏彦裁判官は懲役1年、執行猶予3年を言い渡した。検察側の求刑は懲役1年だった。
事件番号 平成26年刑(わ)第2173号
尚、傍聴希望者は当日午前10時から指定場所(1番)で抽選となった。
posted by y.s at 23:24| Comment(2) | 中野・高円寺・阿佐ヶ谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月26日

中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)

2・26事件の理論的指導者として民間人ながら軍法会議にかけられ、非公開・無弁護人・一審制のもとで銃殺刑に処せられた北一輝が憲兵隊に逮捕された現場であるとともに最後の住居であった中野区桃園町の旧居周辺の写真です。当時とは道路も新しく敷設されているようで「おそらくこの付近」です。
管理人は学生時代(夏)に北一輝の故郷・佐渡の両津を訪れたことがありますが・・新潟港をでた連絡船が佐渡の山々が近くに見えているのにえらく時間がかかったこと+相川の海岸(公園だったか?)にサーカスのテントが張られていたこと(初めてサーカステントを見た)ぐらいしか記憶に残っていないのです。両津港周辺の町並みを歩いた記憶はなんとなくあるのですが、北一輝を意識して訪れているので生家跡などは訪れているはずなのですが・・・思い出せないでいます。
鈴木清順監督の日活映画「けんかえれじい」でラストのワンシーンに登場するのが北一輝・・主演の高橋英樹が上京する時に「大きな喧嘩」が起こっていたのです。北一輝というとこのシーンが強烈に焼きついてしまっています。北一輝は幼年時代に眼病で右眼を失明しており義眼・・左眼のみで世間を観察していました。
「国体論及び純正社会主義」の天皇制問題などから始めると途轍もなくなるので興味ある方は、参考に読んだ文庫本を挙げておきます(長期間本棚の隅にいまだに居座っている)。
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昭和10年10月に梅屋庄吉の別荘に移転します・・旧表示で中野区桃園町40番地・・2枚とも北側からです・・南側の低地側の道路からも撮りましたが地番が違ってくるので省略 当時はおそらく樹木に覆われた建物だったと思います
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3月10日の夜になりようやく戒厳司令部から拘束・取調べ中の発表(東京朝日新聞3月11日付朝刊)
右の地図・・かなり広い別荘だったようで周辺の地番は細かく並んでますが40番地のみ周囲が空白
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昭和6年2月に移転してきた大久保・百人町2丁目の住居跡です・・現在はテニスコートに・・かなり広い敷地 JR大久保駅から細路地を北に200m(地図にテニスコート出てるので・・手製地図は省略)

  *北一輝周辺の略年譜
1931年(昭和6年)48歳
 2月 牛込より大久保百人町に移転 
 10月 十月事件未遂に(桜会・大川周明ら軍部内閣樹立クーデタ発覚 北一輝・西田派も参加)
1932年(昭和7年)49歳 
 2〜3月 血盟団事件 井上準之助(2月9日射殺)・団琢麿(3月5日射殺)暗殺相次ぐ。
 4月 北一輝「対外国策ニ関スル建白書」執筆。
 5月 5・15事件 犬養首相暗殺。夜、西田税が撃たれ重傷。
   北、西田の看病中に後の2・26事件参加の陸軍青年将校の多くを知る。 
   北、この年より三井財閥・池田成彬から盆暮れに多額の金を送付され始める。
1933年(昭和8年)50歳
 11月 救国埼玉挺身隊事件が発覚。事件背後の中心人物は栗原安秀中尉。
1934年(昭和9年) 51歳
 3月5日 永田鉄山が陸軍省軍務局長に就任・・統制派進出開始。
 11月20日 陸軍士官学校事件(クーデタ計画摘発)により、村中孝次大尉・磯部浅一主計逮捕(不起訴処分)
1935年(昭和10年) 52歳
 4月6日 真崎教育総監、全陸軍に「国体明微」を訓示。
 夏 北一輝、大久保百人町から岩田富美夫方に移る。
 7月11日 村中・磯部「粛軍に関する意見書」配布。
 7月16日 真崎教育総監罷免され後任に渡辺錠太郎着任・・統制・皇道両派の対立深刻に。 
 8月12日 陸軍省軍務局長・永田鉄山、省内局長室で皇道派・相沢三郎中佐に斬殺される。
 10月 北一輝、梅屋庄吉の別荘に移転。中野区桃園町40番地(現在の中野3丁目)。
1936年(昭和11年) 53歳
 2月 2・26事件勃発。
 2月27日 帝都(東京市)に戒厳令発布(7月18日に解除)
 2月28日午後 北一輝、憲兵隊に検挙
 3月17日〜21日 北一輝、警視庁で取調べ。
 4月22日 北の取調調書が軍法会議に送られる。
 7月12日 2・26事件第1次15名処刑。
 10月1日 北の第1回公判。
 10月22日 北一輝、論告求刑。
1937年(昭和12年) 54歳
 1月18日 磯部・村中に判決。
 8月14日 北・西田(元騎兵少尉34歳)に叛乱罪(首魁)で死刑判決。
 軍法会議は非公開・無弁護人・一審制。青年将校らへの理論的指導者とされ、直接関与も無い民間人でありながら事件の首魁として死刑判決に。
 8月19日 午前5時50分 北一輝・西田税・磯部浅一・村中孝次ら東京陸軍刑務所で銃殺刑執行。
  *東京陸軍刑務所は現在の渋谷区役所の位置・・処刑場はお決まりの敷地北側隅(別項目でアップ予定)

以下は、昭和33年建立の目黒不動尊の境内の「北一輝先生碑」。碑文は大川周明。
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この写真だと判読不可能・・大きくしてみると・・下の写真
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大きくしても・・白い説明板でお願いします
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          1983年3月10日の新聞広告です

 *参考資料 松本健一氏の労作はまだこの2巻のみ読了しただけ・・
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2009年11月22日

東中野 功運寺 吉良上野介墓所

赤穂浪士に討たれた吉良上野介の墓所がある萬昌院功運寺です。
萬昌院功運寺は、江戸開府以前の1500年代後期の創建の古い寺院でありますが、
昭和になってから、別々の二つの寺が合併したもので萬昌院功運寺という寺名の歴史は浅いです。
久宝山萬昌院は天正2年(1574年)の創建で、今川家の開基。今川家と吉良家が関係あることから、
墓がこの寺に設けられました。功運寺は竜谷山と号し、慶長3年(1598年)の創建で芝三田聖坂より
大正11年(1922年)に現在地に移転。少し前の大正2年に牛込御殿山から移転していた萬昌院と
隣り合わせになります。昭和23年になって登記書類上で合併し、昭和27年にやっと建物もひとつの
寺として機能するようになりました。
吉良上野介は吉良家第17代で名を義央(よしなお)。芝居などで長年にわたり「悪者」「悪役」の
イメージが定着していますが、元は被害者なのに仇にされた上に殺害された悲劇の知識人。
吉良家領地は三河吉良(愛知県)で、上野介は高家筆頭として将軍家の名代を務め、朝廷や伊勢神宮
・日光東照宮への代参、様々な儀式礼典を任されており作法などを伝授する立場であった。
東映などの時代劇「忠臣蔵」関連の作品で、浅野内匠頭が朝廷の使者を接待するシーンでは、江戸城内のセットや小道具の考証が本当にこうだったのか、つい上野介に聞いてみたくなる。
上野介は寛永18年(1641年)9月2日に吉良家第16代の義冬の子として生まれ、本所の屋敷で殺害
された時は62歳であった。
吉良家の墓域には第17代上野介を含め、第14代〜第17代まで4代の墓が並んでいます。
また襲撃を受け死亡した吉良家家臣用人の名を刻んだ墓碑・供養塔も寄り添っています。

   曹洞禅宗・萬昌院功運寺 中野区上高田4-14-1

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