2016年10月13日

五反田 桐ケ谷駅空襲 大佛次郎「敗戦日記」より

「大佛次郎 敗戦日記」昭和19年11月27日の{空襲経過}の項より抜粋。
<< 〇雨勢やや加わる。乞食大将(*10月初旬に起筆。執筆中の小説タイトル。後に朝日新聞に連載。)一回半書きし時 岸君来たり東京の模様を知らしてくれる。
清水のアルミニウム工場(日本全産額の三分の二)が大分やられた。東京は青山赤坂方面と深川大島附近、青山学院女学部に焼夷弾、原宿駅、海軍館、赤坂区役所などがやられた。
外苑入口の高射砲陣地を狙いしものか。
   〇前の空襲で吉祥寺中島工場は死傷五百名出す、池上線の桐ケ谷駅が破壊され今二十七日なお不通。 >>
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(池上線桐ケ谷駅跡。島式ホームの名残りが右側擁壁の窪みとして現在も残る。ホームが取払われた後、線路は直線に敷設し直された。)
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(桐ケ谷駅跡を通過する東急池上線下り電車。右写真は桐ケ谷駅ホーム端に現在も残る踏切。)

鎌倉在住の大佛次郎の元には、報道統制をかいくぐるように、友人知人らの見聞による戦況・被害の情報が随時もたらされている。昭和20年5月の桐ケ谷駅空襲が多く語られているが、その前年から鉄道を標的とした米軍の攻撃は繰り返されている。当時、五反田駅近くに下宿し、芝浦の沖電気に通勤していた作家山田風太郎の日記(「戦中派虫けら日記・昭和17〜19年)には、五反田近辺の空襲被害については何も書かれていない。山田は、昭和19年11月当時、東京医専(東京医科大)に合格し通学を始めたばかりで、校舎(西新宿)近辺の空襲については書き残している。
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(2008年度に実施された擁壁改修工事「沿線の皆さまへ」の看板から。丁度駅跡に楕円のマークがついている。発着駅池上線五反田からの下り駅順は、五反田→大崎広小路→桐ケ谷→戸越銀座)

「大佛次郎 敗戦日記」1995年草思社刊は、後に「終戦日記」と改題され文庫化されている。
鎌倉在住の大佛次郎が書き残した日誌風原稿には、題らしきものは附与されておらず、タイトルは何でもいいようだ。
参考
「東京急行電鉄50年史」 東京急行電鉄社史編纂事務局編1973年刊
posted by y.s at 20:44| Comment(0) | 品川・田町・五反田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月20日

She's eternity

1979 1 17 〜 eternity
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*説明・コメントは無しです
posted by y.s at 11:31| Comment(0) | 品川・田町・五反田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月11日

三田 綱町三井倶楽部の武家屋敷長屋(解体)

三田2丁目3番の旧・三井家綱町別邸に、三井家の賓客接待用として建設された「綱町三井倶楽部」(ジョサイア・コンドル設計で大正2年に完成)。その敷地の北西角に、江戸期の旧藩邸の屋敷の一部と思える建物一棟が残されていました。三井家綱町別邸は、西隣のオーストラリア大使館の敷地と合わせて、江戸時代末期までは島津家の上屋敷。明治期には蜂須賀侯爵邸と移り変わっている。現在はオーストラリア大使館と綱町三井倶楽部は道路で隔てられているが、その道路が造られた位置に島津藩邸時代は屋敷門が存在していたはず(江戸切絵図は屋敷門の位置に家紋を印していた)。綱町三井倶楽部内にあった土壁造りの建物は、取り除かれた屋敷門の東脇にあたり、屋敷門の警備にあたる下級武士か足軽の長屋(住居)としてあったものと考えられます。
2008年8月になると外壁解体工事が開始され、建物周辺は工事フェンスで覆われてしまったのです。貴重な文化財であるはずの長屋構えの建物は間をおかず解体処理。歩道設置工事が完成しても、あの「長屋」は復元された気配がないようです。
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  道路側のコンクリート壁は昭和20年代は木柵であった 歩道は無く車道路肩のみ
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道路側長屋の上部外壁は白漆喰(しっくい)塗 下側は下見板張
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(左写真)2008年8月撮影 外壁工事開始 (右写真)2008年11月撮影 外壁・歩道拡張工事終了間際 長屋遺構は消滅
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工事標示により長屋遺構の面積・高さが分かります 地図*長屋のあった所は現在は信号付き十字路・・藩邸の表門位置と推測 向い角に辻番所がありました
posted by y.s at 23:56| Comment(0) | 品川・田町・五反田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする