2017年11月28日

京都嵯峨野 竹林 谷崎潤一郎「朱雀日記」より

「象」「刺青」「信西」等の諸作(短編小説・戯曲)を発表した若き谷崎潤一郎は、明治44年、永井荷風に激賞され作家としての地位を確かにする。翌年2月小説「悪魔」を発表した直後、大阪毎日新聞社より原稿依頼(「朱雀日記」)を受け、春を迎えんとしている京都に旅立つ。

「朱雀日記」(嵯峨野の章)より抜粋。
<<(略)夢窓國師を開山に戴き、近く峨山和尚に依つて再建せられた天龍寺の少し先から、左へ曲ると、鬱蒼たる竹藪の中を一條の小徑(こみち)がうねつて居る。
竹藪の雅到は、東京の郊外などを歩いたのでは、全くわからない。細い真直な幹が、すくすくと列び立ち、日光の洩れる隙もない程に密生して、藪の中が奥の奥まで青暗くなつて居る。
徑(こみち)は再び平坦な野原に出て、左に亀山、右に小倉山を望む。所謂(いわゆる)嵯峨野とは此の二つの山の間を稱(しょう)するのだと云ふ。(略)>>
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「天龍寺の少し先から、左へ曲ると」と描写された場所。ここを曲ると竹林へと誘われる。

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鬱蒼とした竹林へのとば口。観光客を乗せた人力車が竹のトンネルに吸込まれてゆく。

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「密生して、藪の中が奥の奥まで青暗くなつて居る」。谷崎が見た青暗くなつた竹林は今日でもほぼ同様に目にできる。2011年〜2012年にかけての撮影だが、春秋の観光シーズンにあたると一方通行にしたいほど混雑する。無人の状態で竹林のくねった小経をカメラに収めることは困難。早朝に訪れるしかない。

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竹林を抜けると「左に亀山、右に小倉山を望む」。
谷崎潤一郎は、竹林のくねった経(みち)を北に抜けて、今度は左に小倉山を望みながら、かって俳諧師・去来が侘び住まいをしていた落柿舎(らくししゃ)に歩を進める。去来の墓(墓石にしては小さすぎる、片手で持ち上げられるほど小さい)に詣でるが、たいした感慨を述べることなく、せわしなく足早に二尊院の山門に消えてゆく。
「朱雀日記」明治45年(1912年)4〜5月大阪毎日新聞(東京日日新聞)連載初出。
「谷崎潤一郎全集第1巻」1981年中央公論社刊(「朱雀日記」収録)より

谷崎潤一郎リンク
神田南神保町 谷崎潤一郎の文壇デビュー 「青春物語」より http://zassha.seesaa.net/article/443072199.html
京都嵯峨朝日町 車折神社 谷崎潤一郎「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/442840656.html
京都伏見 淀古城 谷崎潤一郎「盲目物語」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/443206554.html
大阪船場・御霊神社 御霊文楽座 谷崎潤一郎「青春物語」より http://zassha.seesaa.net/article/443158094.html
目白 谷崎潤一郎の仕事部屋 谷崎松子「倚松庵の夢」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/448091444.html?1489817860
大阪南 旅館(待合)千福とカフエ・ユニオン 谷崎潤一郎「芥川龍之介が結ぶの神」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/432273298.html?1493981055
京都宇治 平等院鳳凰堂 谷崎潤一郎「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/423690257.html
京都島原 角屋(すみや) 谷崎潤一郎 「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/424681960.html?1494858522
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posted by t.z at 23:01| Comment(0) | 京都kyoto | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする